衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2023年02月22日    水曜日     第3 回の開示 合計3872回の開示

意根が薫習を受けた後の覚受

問:弟子が色身の苦空無常無我を思惟し、自分と他人を観察すると、生老病死や日常の行為(飲食や排泄など)は自らの意思ではどうにもならないと感じます。普段歩いている時は思惟が深まりませんが、静かに思惟する時、心身に喜びの覚受が現れ、まるで新たな世界に入り、別の境地に至ったかのようです。この感覚がとても気に入っています。この覚受は意根が少し熏習されたということですか。

答:これは七覚支中の喜覚支です。まさに仏法を熏習する過程における良い現象です。意根が熏習されてこそ喜覚支が現れ、喜びがあってこそ長く修行を続けられます。その後には軽安覚支が現れるでしょう。心から湧き出る喜びは全て意根の熏習によるもので、色身と意識心に表れます。意根が熏習されるからこそ心身に様々な変化が生じ、苦楽の覚受や不苦不楽の覚受が現れるのです。意根に新たな認識が生まれ、思想観念が転換すれば、自然と心身も転換します。常に五蘊無我やその他の仏理を思惟観察すれば、意根と心身の変化は次第に大きく増大し、量変から質変へと至り、脱胎換骨し、鯉が龍門を登るが如く、凡夫から聖者へと転換するのです。

——生如法師の開示
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