衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2023年02月18日    土曜日     第1開示 合計3866開示

如来蔵は何に基づいて色身を保持し変造するのか

如来蔵は常に寂滅の境地にあって動ずることなく、もし何らかの法を現行しようとするならば、必ず意根の心が動いた結果であり、必ず意根という俱有縁が存在する。表面的には、如来蔵が名色たる受精卵を形成し、受精卵を変造し、色身の組織を修復する際に、意根の機能作用が存在しないように見えるが、実際には常に意根の作用があり、意根は永遠に業種と相応し、如来蔵はまた業種に随順する。福徳ある業種も福徳なき業種にも随順するのは、あたかも意根に随順するのと同じである。如来蔵が世俗法を出生するほとんどの場合、業種に基づいており、たとえ意根が絶えず思惟し、絶えず択択を繰り返しても、如来蔵が意根に配合する際にも、依然として業種に基づき、福徳因縁に基づき、その他の因縁条件に基づくのである。

もし因縁条件が許さず、福徳が不足し、業種も存在せず、あるいは業種がまだ成熟していなければ、如来蔵は意根の択択に従って法を出生することはできない。例えば、多くの人は昇進して財を成したい、殊勝な世俗の果報を得たいと望むが、業種がなく、因縁も成熟していないため、旧来のまま普通の生活を送るしかない。また例えば、ある人は多病の果報を受けるべきであり、どれほど努力し、どれほどの金銭と精力を費やしても、身体を修復して健康にすることはできない。皇帝ほどの福徳があっても不可能であり、一旦皇帝が福徳を使い果たせば、自殺するか、殺されるか、あるいは簒奪されて地位を失う可能性さえある。世の中には、生まれながらに大いなる福徳を持つ人も少なくないが、幼少期からその福徳を極度に享受し消耗するため、成長後は福徳が消耗し尽くされ、早死にするか、生活が困窮するか、多災多難に陥るのである。

三界の果報は業力に牽かれ、如来蔵は業力に従って転ずる。しかし願力がもし業力に勝るならば、如来蔵を願いに従って牽引することができ、凡夫が大願を発すれば次第に業力の束縛から脱し、脱胎換骨して聖人となり、遂には成仏する。ゆえに懺悔して発願することは、強力な修行方法の一つであり、願いさえあれば、意根に願いさえあれば、遅かれ早かれ実現の日が訪れる。すべての願いは空願ではなく、必ず実現する。ただ因縁がいつ具足するかの問題である。これらの大願を発した後、如来蔵はそれを記録し、種子が成熟した時に願い通りとなる。我々がなすべきことは、第一に清浄なる大願・善願を発すること、第二に願力の種子が成熟するよう努めて促すことである。そうすれば将来、願果を得ることができるのである。

——生如法師の開示
前へ前へ

諸仏菩薩はなぜ悪の薫習を受けないのでしょうか

次へ 次へ

臨命終時における如来蔵はいかにして色身から少しずつ退出していくのか

ページトップへ戻る