衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2023年02月16日    木曜日     第4 回の開示 合計3864回の開示

身・口・意の行いを正しく管理する要は、意根を調伏することにあります

自らの意根をよく管理すれば、六識の身口意行を統御することができる。阿羅漢の意根は既に調伏され、煩悩を断じ、世間への未練や貪愛を離れている。第三果より心は解脱を得、身口意行は清浄である。普段托鉢に出る際には視線を一尺先に定め、眉を低く目を和らげ、左右や他方に目を向けず、眼は色塵に乱れず、心は妄想せず、一心あるいは無心となる。眼が色塵に触れざるを得ぬ時も、色を知りて即ち止まり、受想を生ぜず、まして取ることなく、業種を残さず、後有を受けず、四大威儀は人天の大衆を感動させる。

仮に外境の熏染があっても、意識は熏されず、まして意根は更に熏されない。たとえ意識に微動があろうとも、意根は動かず、煩悩断尽の故である。阿羅漢たちは意識で意根を督促・監督・調節せず、意根が反って意識を調える。これに対し、修行の道程にある凡夫衆生は、意根が熏されていないが故、意識を以て常に意根を監督・調節・制限せねばならぬ。制御しなければ人苗稼を犯し、本性が露わになる。故に常に意識で自らを戒める者は修行未熟であり、まして意識すら迷妄に沈む者は修行の域に達していない。ただ意根が熏習を受けた後、無明を破り、身口意行が次第に清浄となり、自発的・自覚的に行動し、看護を要さぬ境地に至るのである。

——生如法師の開示
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