意識が法に対する思惟によって、自らの思想、観念、見解、知見を形成する。この過程は同時に意根への熏習作用を伴い、思惟の過程そのものが意根を熏じ、意識が集中した思惟ほど深く意根の心に浸透するため、熏習の効果が明らかになる。もし意根の注意と直視を引き起こせば、それは最も初歩的な効果である。意根が警戒心と思惟を生じさせれば、効果はやや顕著になる。意根の思惟が集中し深まり、かつ理法に適っているならば、熏習の効果はさらに明らかとなる。意根の思惟に筋道が立てば、効果が現れ始める。意根が法の意味合いを思惟し、初歩的な決断を下せば、真の効果が生まれる。意根が極めて明確かつ理に適った結論を導き、自らの思惟を強固に認可し、相応の決断と判断を下すに至れば、熏染が成功したと言える。意根が転換すれば、以後の全ての心の働きは転換し、意根の判断と決断を中心に回転するようになり、その時こそ熏習が本物となったのである。
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