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日常法話

2023年02月11日    土曜日     第1開示 合計3854開示

如来蔵の五大種子の機能と作用

如来蔵の本有の種子は七大種子であり、そのうち五大種子である地・水・火・風・空は物質的な色法を構成する根本的な元素であり、見大種子と識大種子は衆生の八つの識である心法を構成する元素である。色法とは色・声・香・味・触・法の六塵の境界であり、これに衆生の五根を加えて、合計十一個の色法となる。宇宙の器世間におけるすべての物質的な色法、すなわち衆生の色身を含め、宇宙世界のような大きなものから微塵のような小さなものに至るまでの色・声・香・味・触・法は、すべて如来蔵が五大種子を用いて形成したものである。

如来蔵はどのようにして五大種子を出力し、物質的な色法を形成するのか。最初に出力される五大種子は形も相もない非色非心の法であり、最初の極めて微小な粒子を形成した後、有相の色法へと変化する。最初の色法は肉眼では見えないばかりか、最も精密な顕微鏡でも見ることができない。その後、粒子は急速に堆積・結合し、次第に大きくなり、精密機器で観測可能な電子・陽子・中子・核子・クォークなどの極めて微小な粒子となり、最終的に肉眼で見える形と相を備えた物質の塊となる。

如来蔵のこの働きは非常に不可思議であり、無形の種子を有形の色法へと変化させることは、まさに虚空から幻のように現し出すことに等しい。如来蔵は最も偉大な魔術師と言えるだろう。如来蔵が五大種子の比率と量をわずかに変化させるだけで、物質的な色法は変化し、物質の属性も変わる。さらに、物質的な色法上の五大種子は刹那刹那に出力され、また回収される。物質が成長段階にある場合、種子の出力量は絶えず増加し、比率も変化する。物質が衰老・成熟段階にある場合、種子の出力は次第に減少し、比率も変化する。

同じ物質であっても、異なる段階や異なる環境条件下では、成分が異なり、機能が異なり、色・香・味が異なり、発散力が異なり、生滅変異の速度が異なり、形状や外観もすべて異なる。物質は最初の微小な粒子の段階からすでに一定の位置エネルギーと運動エネルギーを有している。なぜなら、種子が粒子の上で刹那刹那に出力され消滅し、生・住・異・滅が一時も止まないため、粒子は一定の法則に従って特定の軌道を高速で運動し、それによってエネルギーが生じるからである。最も微小な粒子が絶えず集合して小さな粒子を形成し、小さな粒子がさらに集合して大きな粒子となり、さらに進んでより大きな粒子を形成し、最終的に固定された形状を持つ物質へと変化する。エネルギーは集合するほど大きくなり、作用力も集合するほど大きくなり、磁場の力も集合するほど大きくなる。

様々な粒子はすべて一定の法則に従って運動し、固定された軌道に沿って運動することで位置エネルギーが生じ、位置エネルギーがあることでエネルギーが生まれる。人々はこのエネルギーを利用して人類の生存に貢献することができる。物質の種類が多様であるため、生み出されるエネルギーの種類も多い。世俗界に現れる様々な学問、例えば物理学、化学、光学、その他の学問はすべて、物質的な色法、物質的な色法が生むエネルギー、そしてエネルギーの変換と保存を研究している。しかし、いずれも最終的で完全な結論には至っていない。なぜなら科学者たちは皆、如来蔵の法を理解せず、如来蔵の運行原理を知らないため、彼らのすべてのハイテク研究や科学実験は究竟・円満に達することはあり得ない。ただ仏陀のみが物質世界の究竟的な根源を洞察できるのである。

もし私たちが物質的な色法が生じる原理と科学実験を結びつけることができれば、世界や宇宙に存在するすべての物理的、化学的、光学的、数学的など、あらゆる不可思議な現象を解明することができる。唯識を学び、唯識の種智の智慧を身につければ、世の中のあらゆる学問を私たちは明らかに探究し、根源にまで到達することができる。宗教、哲学、心理学、生理学、生物学など、あらゆる学問はすべて如来蔵の機能作用に他ならない。如来蔵の法は三千大千世界のすべての奥秘を明らかにすることができ、そうすることで宇宙の真理が人類世界に顕現する。私たちはこれに依って最も深い智慧を得ることができ、智慧が極まり尽くせば一切智者の仏陀となるのである。 

私たちが仏法を修学し明心見性した後、さらに一歩進んで修学を重ね、唯識の種智を具えた時、唯識の智慧が開発され、如来蔵の種子の機能作用の一部を証得すれば、世俗法において、私たちは一つの分野や学問領域に触れるだけで絶対的な権威となることができる。どんな学問分野に力を注いでも、私たちはトップレベルの人材となり、世界で最も優れた科学者たちを凌駕する。いかなる科目、いかなる法門、いかなる領域においても、私たちはトップレベルの存在となることができる。これが私たちが仏法を学び、唯識を学び、一切法の唯識性・真如性を証得することによって、世俗法の中で得られる最大の利益である。仏法は私たちがあらゆる分野において智者となり、世俗法において何ものも阻むことができない存在となることを可能にしてくれるのである。

——生如法師の開示
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