衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2023年02月11日    土曜日     第2 回の開示 合計3855回の開示

一切のものは即ち如来蔵である

如来蔵はただ一切の事象を絶え間なく生滅変化させているだけで、自らは変化しない。もし如来蔵も変化するならば、それは生住異滅の法となり、これは極めて大きな過失となる。このように仮定すれば、問題が生じる。如来蔵はいつ生じたのか、どのように生じたのか。それが生じる前には、一切の万物万法が存在せず、虚空さえもない状態とはどのようなものか。衆生の業種はどこに存在するのか。意根はどこにあるのか。もし如来蔵が滅するならば、どのように滅し、何によって滅するのか。滅した後、万法の種子はどうなるのか。衆生の果報はなお存在するのか。

如来蔵はどこにも住することなく、当然ながら万物の中にも住していない。もし万物の中に住しているならば、万物が滅した後、如来蔵もまた滅してしまうのではないか。万物を細かく分け分けしていけば、如来蔵を見つけられるのではないか。これは根本的に不可能である。一切の万物が生長し滅するまでの過程は、四大種子の和合作用によるものであり、すべて如来蔵が調和を保ち執持する結果である。

一切法の中に如来蔵の運行の跡を見出すことができる。その跡と痕跡とは七大種子によって形成された心法と色法であり、すべて如来蔵自身の内なる原材料である。故に法を見れば如来蔵を見るべきである。目に映る青山に別法はなく、全体が即ち一つの真実の法界――不生不滅の如来蔵である。毫厘たりとも微塵たりとも如来蔵の外に立つことを許さず、すべては如来蔵心中の法であり、また如来蔵の体・相・用である。衆生は如来蔵の中に生きているが、実際には衆生も存在せず、すべて如来蔵である。どの法が如来蔵でないと言えようか。どの法が如来蔵の外に脱して独存し得ようか。いずれも不可能である。

——生如法師の開示
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