衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2023年01月22日    日曜日     第2開示 合計3832開示

一念不生とはいかなる状態か

一念不生の時には、独頭意識が存在せず、独頭意識が存在する時には必ず念があります。念とは独頭意識の念であり、五倶意識はただ知ること、了別すること、分別することに過ぎません。五倶意識がただ了別と知の状態にあり、分別しない状態にある時、それが一念不生の状態であり、この時、意根の知るという機能作用が比較的明らかに現れてきます。意根には知があり、念もあるのですが、ただ意識がはっきりしないだけです。この時も禅定の状態にあり、心は乱れず複雑ではなく、事柄が少なく簡素です。一念不生の時、意識は念を生じませんが、意根はそうではなく、意根の念は一般的に絶えません。例えば、一念不生の時に突然ある事柄を思い出し、すぐに立ち上がって用事を済ませに外出するのは、これが意根が意識が念を生じない時に、念が転じた結果です。

この状態はどのように現れるのでしょうか。これも意根が主導して選択し促進したものであり、意根が攀縁せず、法を分別しようとしなければ、意識はただ従うしかなく、静かに存在し運行します。これも意根にそれほど考えがなく、意根に明らかな念がない時です。もし意根に考えがあれば、意識に働きかけさせ、意根の考えを実現させます。もし意根が他の法を念じていれば、意識は必ず気を散らして処理し、静かではなく動揺し慌ただしくなり、こうなると安定せず禅定は得られません。

——生如法師の開示
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意根における恒審思量の「恒」の意味

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