ある人が言う:意根もまた識であるならば、外界に対して感知があるはずなのに、人が昏迷状態にある時にはなぜ外界に対して全く感知がないのか。この問題はこうである。昏迷時に感知がないのは意識が感知していないのであり、意根は依然として感知している。意根が感知する時、意識が一旦滅失すると、意根の感知を知ることができず、たとえ意識が滅していなくても、認知する智慧がなければ、依然として意根の感知作用を知ることができない。これは、意根の知が意識に知らせて初めて衆生が知ることができるためであり、衆生はみな意識心の知をもって知とし、意識が知らないことは知らないと考えるからである。
しかし意識が知らないからといって、意根も知らないとは限らない。したがって、睡眠中に夢がなく、昏迷状態にあり、意識が消失した時には、意根の知は意識に伝達されず、意識は知らず、意識が知らなければ衆生は知らない。たとえ意識が正常に機能して消失しなくても、智慧がない時には意根の知を知ることができない。意識に智慧がない時、意根がどのような心の動きをし、何を感知しているか、意識はやはり知らない。したがって、意根に自証分の証自証分という反照があるかどうかは意識では観察できず、意根が自我の存在を知っているかどうかも意識では観察できない。ゆえに、意識が観察できない時には、意根がどうであるとかどうでないとか判断を下すべきではない。
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