衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2023年01月14日    土曜日     第3 回の開示 合計3820回の開示

意識がないときに意根に知はあるでしょうか

ある人がこう言いました。「意根もまた識であるならば、外界に対して感知があるはずです。人が昏迷状態にある時、なぜ外界に対する感知が一切ないのでしょうか。」この問題について申し上げますと、昏迷時に感知がないのは意識が感知していないのであり、意根は依然として感知を有しております。意根が感知する際、意識が一旦滅失すると、意根の感知を知ることができません。たとえ意識が滅失しなくても、認知する智慧がなければ、依然として意根の感知作用を知ることはできません。これは意根の知が、意識に知らしめた後で初めて衆生が知ることができるためで、衆生は皆意識心の知をもって知とし、意識が知らないものは知らないと考えるからであります。

しかし意識が知らないからといって、意根も知らないとは限りません。従って睡眠中に夢がない時や昏迷時、意識が消失した時には、意根の知は意識に伝達されず、意識は知ることができず、意識が知らなければ衆生は知ることができません。たとえ意識が正常に機能して消失しなくても、智慧がなければ意根の知を理解することはできません。意識に智慧がない時、意根がどのような心行をし、何を感知しているかについても、意識は知ることができないのです。よって意根に証自証分の反観があるかどうかは意識では観察できず、意根が自我の存在を知っているかどうかも意識では観察できません。従って意識が観察できない状況においては、意根が如何様であるか否かについて断定的な判断を下すべきではないのであります。

——生如法師の開示
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