衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2023年01月11日    水曜日     第2 回の開示 合計3813回の開示

瑜伽師地論 第三十四巻(八十四)

問。何の因縁によって、この三摩地は金剛喩と名づけられるのか。答えて曰く、例えば金剛は、他の一切の摩尼・真珠・瑠璃・螺貝・璧玉・珊瑚などの諸珍宝に比べて、最も堅固であり、他のあらゆる宝物を貫き破壊するが、他の宝物によって貫かれることはない。かくの如く、この三摩地は、一切の有学の三摩地の中において最上・最勝にして最も堅固であり、一切の煩悩を破壊し、いかなる上位の煩悩もこれを覆い伏すことができない。故にこの三摩地を金剛喩と名づけるのである。

釈:問う、どのような理由でこの三摩地は金剛を喩えとする名称を持つのか。答えて言う、金剛はあらゆる摩尼・真珠・瑠璃・螺貝・璧玉・珊瑚などの珍宝の中で最も堅固であり、他の宝物を貫通破壊するが、他の宝物によって破壊されることはない。このような三摩地は、全ての有学の三摩地の中で最も優れ、最も勝れ、最も堅固であり、一切の煩悩を破壊し、いかなる上位の煩悩もこれを覆い鎮めることができない。故にこの三摩地は金剛を喩えとする名称を用いるのである。

初果から三果までは皆「有学」の位である。未だ煩悩の漏れが断じ尽くされておらず、修めるべき法が残っているからである。煩悩が未だ断じ尽くされていないか、あるいは煩悩を断つことが未だ完全でないため、引き続き修学して煩悩を断じ尽くす必要がある。煩悩が完全に断じ尽くされた状態が第四果の阿羅漢である。もはや漏れも煩悩も断つべきものはなく、修めるべき法もなく、解脱の道の真理を修学する必要もなく、すでに最終の清浄に達し、三界世間の諸有から解脱しているため「無学」と称される。これに対し三果以前はそうではない。第三果が証得する三摩地は初果・二果よりも勝れており、最も堅固なるものであるため、金剛三摩地と名づけられるのである。

——生如法師の開示
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