原文:かくの如く修することにおいて、勤めて修習する者は、時々刻々に正しく観察すべきである。所有の煩悩が已に断たれたか未だ断たれざるかを。時々刻々に、厭うべき法に対して深く心に厭離し。時々刻々に、欣ぶべき法に対して深く心に欣慕する。これを摂楽作意と名づく。彼は即ちこの摂楽作意に親近し修習し、多く修習するが故に、能く余すことなく永く断つこと有り。修道所断の煩悩を断つ最後の学位は、金剛三摩地の生ずるに喩えられる。此の生ずるが故に、便ち能く永く修道所断の一切の煩悩を断つことを得る。
釈:このように修行について、精勤して修習する者は、常に正しく観察すべきであり、全ての煩悩が既に断たれたのか、まだ断たれていないのかを。常に厭うべき法に対して深く心から厭離し、常に喜ぶべき法に対して深く心から欣喜し仰慕する。これを摂楽作意と名づける。修行者はこの摂楽作意に親しく近づき修習し、多く修習するが故に、全て永遠に断つことが可能となり、修道によって断つべき煩悩を断ち切る。最後の学位が生じる。この位は金剛三摩地に喩えられる。この最後の学位が生じるが故に、修道によって断つべき一切の煩悩を永遠に断つことが可能となるのである。
0
+1