衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2023年01月09日    月曜日     第2 回の開示 合計3807回の開示

瑜伽師地論第三十四巻(八十)

原文:奢摩他を修する者は、九種の行によって心を安住せしむ。前に述べた如し。毘鉢舎那の修もまた前に述べた如し。世間道の修とは、諸々の下地において粗相を見、諸々の上地において静相を見るが故に、乃至無所有処に趣くことができ、一切の欲を離れるなり。出世間道の修とは、正に思惟して、苦は真に苦なり、集は真に集なり、滅は真に滅なり、道は真に道なりと。正見等の無漏の聖道によって、乃至非想非非想処に趣くことができ、一切の欲を離れるなり。

釈:止の修習は、九種類の方法によって心を安住させることで、先に述べた通りである。毘鉢舎那の修習もまた先述の如し。世間道の修とは、諸下地(欲界)にて粗相を見、諸上地(色界及び無色界)にて静相を見ることを指し、無所有処に至るまで、一切の地において欲を離れ執着せず、世間に於いて自在なることを得る。出世間道の修とは、苦諦は真に苦であり、集諦は真に集であり、滅諦は真に滅であり、道諦は真に道であると正しく思惟し、正見等の無漏の聖道によって、非想非非想処に至るまで、一切の地において欲を離れ執着せず、出世間道に於いて自在なることを得る。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

瑜伽師地論 第三十四巻(七十九)

次の記事 次の記事

意識と意根の同時了別及び動念

ページのトップへ戻る