原文:奢摩他を修する者は、九種の行によって心を安住せしむ。前に述べた如し。毘鉢舎那の修もまた前に述べた如し。世間道の修とは、諸々の下地において粗相を見、諸々の上地において静相を見るが故に、乃至無所有処に趣くことができ、一切の欲を離れるなり。出世間道の修とは、正に思惟して、苦は真に苦なり、集は真に集なり、滅は真に滅なり、道は真に道なりと。正見等の無漏の聖道によって、乃至非想非非想処に趣くことができ、一切の欲を離れるなり。
釈:止の修習は、九種類の方法によって心を安住させることで、先に述べた通りである。毘鉢舎那の修習もまた先述の如し。世間道の修とは、諸下地(欲界)にて粗相を見、諸上地(色界及び無色界)にて静相を見ることを指し、無所有処に至るまで、一切の地において欲を離れ執着せず、世間に於いて自在なることを得る。出世間道の修とは、苦諦は真に苦であり、集諦は真に集であり、滅諦は真に滅であり、道諦は真に道であると正しく思惟し、正見等の無漏の聖道によって、非想非非想処に至るまで、一切の地において欲を離れ執着せず、出世間道に於いて自在なることを得る。
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