原文:もし未だ生起せざる所の断ずべき法あり。善法力を修するに、病の如きを知りて深く心に厭離し、癰(よう)の如く箭の如きを知り、無常苦空及び無我を障礙するを深く心に厭離す。これを修するが故に知と名づく。かくの如く知り已(おわ)りて数数修習するが故に、無間道生じて諸煩悩を断ず。これを修するが故に断と名づく。煩悩断じ已って解脱を証得す。これを修するが故に証と名づく。上地の善法に進趣すること如如(にょにょ)たるが故に、下地の已に断ぜられたる諸法を転じて遠分と成し、乃至究竟するに至る。これを修するが故に遠と名づく。当に知るべし、これ八種の修業と名づく。
釈:もし未だ生起していない断ずべき法がある場合、善法を修する力によって、断ずべき法が病の如きものであることを了知し、深く心で厭離する。断ずべき法が癰の如く、毒箭の如く、無常・苦・空・無我の智慧を障礙することを了知し、深く心で厭離する。これを修によって知るという。かくの如く断ずべき法の体性を了知した後、数度繰り返し修習する故に、無間の道が生じ諸煩悩を断ずる。これを修によって断つという。煩悩を断じた後、解脱を証得することを修によって証すという。このように上地の善法に向かって進み、このように下地の煩悩を断じ、諸下地法が次第に遠ざかり、究竟に至って遠離することを修によって遠ざけるという。以上が八種の修業である。
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