衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2023年01月05日    木曜日     第3 回の開示 合計3801回の開示

法相への執着はすべて意根に由る

七つの識は、触れる対象や愛着する法に対し執着する性質を有するが、最終的には全て意根が執取することにより、業種として収められ後世へ伝わる。六識の執着も最初は意根によって引き起こされ、決定される。意根が六塵に対峙する際、その中の法を探求する興味が生じれば、六識による了別が生起する。六識が了別した後、受と愛が生じ、その後執着の心行が起こる可能性がある。意根が六識の了別した六塵相を了別した後、受と愛が生起し、その後執着の心行を引き起こす。これにより六識は貪愛を止めることができなくなる。

法相を執取する識心は主に意識と意根の二識から成る。五識も存在するがその作用は微細であり、無視し得る。意識が法塵に対峙する時、意識が法相を執取し、その後意根は意識の了別と愛取に基づき、同様に愛取の心行を生じる。意根が執取した後、結果が現れる。意識が法相を了別する以前においても、意根には触と取が存在する。ただし意根は法相を究竟的に了知しないため、法相を執取する目的は六識による了別を求め、意識が参謀となり、最終的に抉択するためである。五塵相に対し、五識も執着を有するが、五識に決定権はなく、その執取心は極めて微細である。智慧が不足している時、五識の心行を観察することは極めて困難であり、五識と意識の区別を明らかにすることも甚だ難しい。五識の心所法は通常、意識と意根と結びついており、観察によって識別することができないため、見過ごされがちである。

——生如法師の開示
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