七つの識は触れる対象や愛着する法に対し全て執着の性質を有するが、最終的には意根の執取によって業種として収められ、後世へ流転する。六識の執着も最初は意根の発動と決定に由来し、意根が六塵に対峙する際、その中の法を探求する興味が生じれば六識による了別が起こり、六識の了別後に受と愛が生起し、その後執着の心行が生じる可能性がある。意根が六識の了別した六塵相を了別した後、受と愛が生起し、続いて執着の心行が発生するため、六識は貪愛を止むことがない。
法相を執取する識心は主に意識と意根の二識にあり、五識も存在するが作用は微弱で無視し得る。意識が法塵に対峙する時、意識が法相を執取し、その後意根は意識の了別と愛取に基づき同様に愛取の心行を生じる。意根の執取後に結果が現れる。意識が法相を了別する以前においても、意根は触と執取を有するが、意根は法相を究竟的に了知しないため、法相を執取する目的は六識による了別を要請し、意識が参謀として働き、最終的に決断を下すことにある。五塵相に対し五識も執着を有するが、五識に決定権はなく、その執取心は極めて微細であるため、智慧が不足している段階では五識の心行を観察することも、五識と意識の区別を見極めることも極めて困難である。五識の心所法は通常、意識と意根と緊密に結合しており、観察によって識別できないため見過ごされがちである。
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