原文:もし境界を行ずるに。失念の故によりて。猛利なる諸煩悩の纏縛起こるといえども。暫く作意すれば速やかに除遣し。また能く畢竟して悪趣に堕せず。終に故思って所学に違越せず。乃至傍生にも命を害せず。終に退転して所学を棄捨せず。復た能く五無間業を造らず。苦楽は自らの作れるにあらず。他(大自在天)の作れるにあらず。自他共同の作れるにあらず。自らも作らず他も作らざる無因より生ずるにあらざると定知す。
釈:現観四智を行ずる行者は、もし境界の中に身を置くに、暫時の失念の故によりて、猛利なる諸煩悩の纏縛が生じたとしても、暫く作意すれば速やかに纏縛を除遣でき、また畢竟して悪趣に堕ちることなく、永遠に故意思って修学したものに背く法を考えず、乃ち畜生の命すら害せず、永遠に退転し修学した法を棄捨せず、再び五無間の悪業を造ることができず、苦楽は苦楽自性の作ったものではなく、大自在天の作ったものでもなく、苦楽自性と大自在天が共同で作ったものでもなく、また苦楽自性が作ったのでも大自在天が作ったのでもない無因から生じたものでもないと確定して知るのである。
これは行者が四加行の世第一法の段階にある時の功徳の受用であり、初果を証得する以前においても、猛力なる諸煩悩の纏縛を速やかに除遣する能力があり、悪趣に堕ちず、四聖諦の解脱道から退転せず、棄捨しないのである。見えるように見道前の四加行もその功徳は非常に大きく、見道後の功徳の受用は更に大きくなり、解脱の智慧は確かに殊勝であることが分かる。
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