原文:この永く断ずるが故に。もし先にすでに欲界の貪りを離れたる者は。彼れ今の時に於いて。既に是の如き諦現観に入りて已(おわ)り。不還果を得ん。彼れと前に説きたる欲を離れたる者の相とは。知るべし、異なること無きを。然れども此の中に少しく差別有り。謂わく、当に化生を受くるべく。即ち彼の処に於いて当に般涅槃すべし。復た還り来たって此の世間に生まるること無けん。もし先に倍(ますます)欲界の貪りを離れたる者は。彼れ今の時に於いて。既に是の如き諦現観に入りて已(おわ)り。一来果を得ん。もし先に未だ欲界の貪りを離れざる者は。彼れ今の時に於いて。既に是の如き諦現観に入りて已(おわ)り。粗重永く息(や)み。預流果を得ん。
釈:粗重が永遠に断除された故に、もし先にすでに欲界の貪愛を離れた者は、今この時、是の如き四聖諦の現量観行を悟入した後、三果である不還果を得る。この者は前に説かれた離欲者の相貌と、異なること無きを知るべきである。但し両者の間には些細な差別があり、即ち五不還天に化生を受ける三果人は、まさにその受生処において直ちに涅槃に入り、再び此の世間に生を受けることが無くなる。
もし先に欲界の貪愛をほぼ離れた者(部分的な断除を成し遂げた者)がこの時、是の如き四聖諦現量観行を得た後、二果である一来果を得る。もし先に未だ欲界の貪愛を離れざる者が今この時、四聖諦現量観行を得た後、粗重なる煩悩が永遠に息滅し、初果を得る。
以上の弥勒菩薩の説示によれば、初果を証得した者は未だ欲界の貪りを離れていないが、粗重なる煩悩は永遠に断除息滅し、微細な煩悩は依然として存在する。後の修行において次第に断除息滅し、四果に至って一切の現行する煩悩を断じ尽くす。初果から四果に至るまで全て四聖諦を現量観行するが、その福德・煩悩・禅定・観行の智慧等に差別があるため、得られる智慧に差別が生じ、果位にも差別が現れる。
三果人は欲界の貪愛煩悩を断除し、受生処あるいは中有において直接無余涅槃を証得する能力を有する。これが煩悩を断じた心解脱の聖者である。初果と二果にはなお欲界に対する貪りが残り、心が欲界から解脱していないため、心解脱の聖者ではなく賢者に属する。
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