強迫症は、第六識と第七識の間の葛藤が現れた症状です。人の意根が非常に頑固に何かをしようとする一方で、意識は理性的にそれを拒否し、良くないと判断します。しかし意識は意根がなぜそうするのか理解できないため、効果的に説得できず、強硬に実行を拒否するしかありません。
なぜ意根はこのような不合理な考えを持つのでしょうか。最も合理的な説明は業障、あるいは習慣の力です。意根は業力に従順で、業力の支配下にあります。意識は道理を理解し、この考えが良くないと理性的に判断するため、意根の決定を抑制し反対します。二者の激しい衝突が強迫症を引き起こすのです。例えば前世で母親を傷つけた子供が、今世の業縁で再会した場合、母親は子供に復讐しようとします。しかし意識はそのような考えを持たず、業力に従うことを拒否し、意根の復讐行為を阻止します。業力と理性の対立、子を愛する感情と憎む感情の葛藤、愛憎入り混じった心の衝突は、前世の業縁による苦悩です。
優位に立つのは、意識の理性か意根の業力か、その強さ次第です。意識を強くするには、説得の智慧を増やし、道理を透徹させ、明確な思考、根拠ある論理、忍耐力、方法論、巧みな手段を持って、意根を徐々に導く必要があります。意識は意根の思考理由を丁寧に理解し、母子関係を大切にすること、子の将来にもたらす利益と喜び、子の苦しみを慮ること、子を慈しむことが自分を慈しむことだと、懐胎の苦労を思惟しながら説得すべきです。
意識と意根の関係において、両者が異なる主張を持つ理由は何でしょうか。もし完全に一致すれば良いかというと、強制には意識が意根を抑える場合も、意根が意識を強制する場合もあります。強迫症では通常、意根が意識を強制し、意識が従わない状態です。二者が無明を打破し尽くし、識を智に転じるに至れば、第六・七識は完全に統一され、強大な行動力を発揮します。行動は第六識の身口意の行いであり、その力は意識の力と意根の力から生まれます。両者の力が調和した時、最大の行動力が発現するのです。
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