原文:かくのごとく精勤に瑜伽を行ずる行者は、心の相続が展転して別異なることを観る。新たに新たに生じ、或いは増し或いは減じ、暫時にして有り、たちまちに現前し、前後に変易する。これ無常の性なり。心の相続が取蘊に摂入することを観る。これ苦の性なり。心の相続を観るに、第二の法を離るるはこれ空性なり。心の相続が衆縁より生じ、自在を得ざることを観る。これ無我の性なり。かくのごときを苦諦に悟入すと名づく。
釈:かくのごとく精勤に瑜伽を修習する行者は、自らの心の相続が絶え間なく流転し変異することを観察する。心に新たに一つの法が生じ、次の瞬間にはまた別の法が新たに生じ、絶えず変化し、その心意は時に増し時に減じ、全て暫時的に存在し、刹那に現前して過ぎれば変わる。このように前後して変易する心は無常の性である。さらに自らの心の相続が絶え間なく続き、取着するものがあり、取蘊に摂受されていることを観る。これは苦の性である。さらに自らの心の相続が絶え間なく続くも、心は如何なる一つの法にも属さず、その心が空であるがゆえに、これが空性である。さらに自らの心の相続が絶え間なく続くのは、衆多の因縁が和合して生じたものであり、自在を得られないことを観察する。よってこれは無我の性である。このようにして苦諦に悟入するといい、無常・苦・空・無我を苦諦と名づける。
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