この因縁によって。涅槃に対し深く心から願い楽しむものの、しかるに心はそれに趣入することができぬ。かの我慢が障害であることを了知しおわりて後、すみやかに智慧をもって通達し、放任の運びを捨て去る。作意を転じて随わせ、一切の外なる所知の境を制伏し、作意に趣入して作意の行に随う。専精にして間断なく聖諦を観察す。生起する心の謝滅する時、間断なく生じる心をもって作意を観察す。方便の流注に間断なからしむ。かくの如く心を以て心に縁り、専精にして替えることなきにより、随入作意を令しむることを得。現観を障げる粗品の我慢は生起する隙なきに至る。
解釈:行者がこれらの観念を心に有するが故に、涅槃に対し深く愛楽するも、心は涅槃に趣入できぬ。粗重なる我慢が遮蔽の作用をなす故なり。行者はこれら我慢が涅槃趣入の障害たることを了知しおわり、速やかに智慧によって悟り、我慢の遮蔽を除く。従前の放任自生の我慢を捨て、作意を転じ、心の触るる一切の外境を制伏し、観行作意に転入し、作意に随って転じ、一心に精勤して間断なく四聖諦を観察す。生起する我慢心の滅するに随い、間断なき作意観察の上に心を生じ、心識は四聖諦観察の中に間断なく流注す。行者かくの如く智慧心をもって無間作意に縁り、専心精進して他を顧みず、四聖諦作意に浸るにより、現量観行を障げる粗重なる我慢は生起の機会を得ず。
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