衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
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日常開示

2022年11月25日    金曜日     第1 回の開示 合計3764回の開示

瑜伽師地論第三十四巻(五十五)

原文:現に観られる諸蘊に対する諦智、および現に観られない異なる分界の所余の境に対する比量による諦智、これ即ち法智・類智の種子を生ずる依処なりと知るべし。

釈:これらの法の観察において、現前する五蘊を如実に観察し、現量をもって四聖諦の真理を証知すれば、法智が生じ、これが法智の種子の依り処となる。現前する法以外の所余の非現前五蘊法に対して比量による観察を行い証智を生ずれば、これが類智であり、類智の種子の依り処である。

ここに証法の二種の方式が説かれる。第一に現在存在する五蘊の如実観察、第二に非現前五蘊の比量観察、この二種の観察によって諦智を獲得する。非現前五蘊とは何を指すか。これは現在の刹那以前および以後の五蘊を指す。今日の五蘊が現前するならば、昨日以前の五蘊と明日以降の五蘊は非現前の五蘊であり、現在の五蘊と時間点を異にするが、五蘊の性質と特徴は同一で、同類性と共通性を有し、比較可能性がある。

今年の五蘊が現前するならば、去年以前と明年以降の五蘊は非現前となる。今生の五蘊が現前するならば、前世と来世の五蘊は現前観察不能である。この理を推せば、三大阿僧祇劫の五蘊もすべて現在の五蘊と同一の属性を有し、あるいは無始劫以前より無始劫以後に至る五蘊もすべて共通の属性・性質・特徴を具え、同類性と比較可能性を有する。

正しい比量観察は法智と類智を生じさせる。現前する五蘊に対する正しい如実観察を基礎として、さらに非現前の所余五蘊を比量観察すれば、法智と類智が生じ、見道の無生智を獲得する。分界とは過去・未来の異なる時期の法と現在の法との境界と分断を指す。法と法に境界が生ずれば観察方法も異なり、獲得する智慧の種類も異なる。現見可能な法は現量観察し、現見不能な法は比量観察する。観察が正しく如実であれば、諦智と無生忍を獲得する。

——生如法師の開示
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