彼はかくの如く、自らの内に五蘊を現前に観見し、四聖諦の理に依りて倒れることなく尋思し、正しく観察し終えて、更にその余の異なる分界に於いて現前に観見せざる蘊に対し、比度して観察す。謂わく、彼の所有する有為有漏は一切処に遍じ、一切種に遍じ、一切時に於いて皆かくの如き法有り、皆かくの如き理に堕し、皆かくの如き性を有す。彼の所有する滅は皆永く寂静にして、常住安楽なり。彼の所有する道は皆能く永断し、究竟して出離す。
釈:瑜伽行者はかくの如く自らの内身に現前に五蘊を観見し、四聖諦の理に依りて倒見なく尋思し、正しく観察し終えた後、更に他の異なる分界に現前観察できぬ五蘊に対し比量観察を行う。五蘊中の全ての有為法有漏法は一切処一切種に遍じ、一切時に於いて現前に観察された法の如く、皆四聖諦の理に摂属し、苦空無常無我の性質を具える。これらの法は皆生滅するものにして、滅した後は永劫寂静ならしめ、寂静後は常住安楽なり。世間の全ての道は永断を成し、究竟して世間苦を出離する。
1
+1