衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2022年11月23日    水曜日     第1 回の開示 合計3761回の開示

瑜伽師地論 第三十四巻(五十三)

原文:滅諦の相を正しく覚了した後、さらに真の対治道を正しく覚了する。知るべき境において、能く普遍的に義を求め、能く実に義を求めるが故に、四門に随って転ずる義が故に、一貫して涅槃に趣く義が故に、道・如・行・出と名付けて説くのである。かくの如き行者は四種の行によって道諦の相を了える。これを四聖諦において自ら内に現観する了相作意と名付ける。

釈:行者が滅諦の相を如実に正しく覚悟した後、最後に苦を対治するために修する真の道を如実に正しく覚悟して初めて苦を滅し解脱を得る。知るべき境において、普遍的にその真実の義を求めることができ、如実にその真実の義を求めるが故に「如」と名付ける。修道の過程において、身口意の諸行が四聖諦の理に随順し、絶えず転変清浄することを「行」と名付ける。修道を経た後、心行が次第に寂滅し涅槃に趣き、生死を出離することを「出」と名付ける。このように瑜伽行者は道・如・行・出の四種の行によって道諦の相を明らかにする。これを四聖諦において内心に現観する了相作意という。

真の対治道とは何を指すか。道とは方法・手段・道筋を指し、対治とは心中の貪瞋痴無明の煩悩を対治することをいう。無明とは苦を知らず苦集を知らぬことであるから、この不知を対治して知に転換する。無明がなければ対治を要しない。苦を滅し集を断つために修する道を道と名付け、苦を滅する過程が即ち修道であり、戒定慧・三十七道品を修し、四聖諦を思惟観行することがこれに当たる。これが道行である。

如行とは、心を苦空無常無我の真理・法理に相応せしめ、知るべき境たる四聖諦の法において、能く通達的に深くその真実理を思惟し、如実にその法理を思惟観行し、知るべき境の内包する正理を了達して四聖諦の真理を証得することである。行行とは、如行によって無明を断つ基礎の上に、心行が転変し、その全ての心行が認知した真理に随順し、苦空無常無我の真実理に背かないことをいう。出行とは、修道を通じて煩悩を断除し、身口意の行が清浄となり、五蘊世間に攀縁せず、寂静無為となり、身心解脱して涅槃に趣き相応し、三界を出離し生死輪廻の苦より解脱することを指す。

道・如・行・出の四種の行によって道諦を明らかにする。以上の四行によって知るに、修道の過程において戒定慧が増長し、五蘊世間に対する認知が真実理に契合し、無明が薄らぎ煩悩が軽減され、心行が聖道に背かず、身心世界が次第に転変し、清浄がある程度に至って道に相応し聖賢に相応すれば、聖道を証得するのである。果を証した後に初めて徐々に身心を転換するのではなく、身心を聖賢に相応するまで転換しなければ聖賢となることはできない。学生が試験に合格しなければ入学できないのと理は同じである。

——生如法師の開示
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