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日常法話

2022年11月21日    月曜日     第2開示 合計3759開示

『瑜伽師地論』第四十三巻三十四(五十二)

原文:集諦の相を正しく覚了した後、さらに正しく覚了するに、かくの如き集諦は残りなく止滅するが故に滅と名づけ、一切の苦諦は残りなく寂静するが故に静と名づく。即ちこの滅静は第一であるが故に、最も勝れているが故に、無上であるが故に妙と説き、常住であるが故に、永く出離しているが故に離と説く。かくの如き行者は四種の行によって滅諦の相を了知する。

釈:集諦の相を正しく如実に明らかに覚悟した後、さらに正しく如実に滅諦の四種の行を覚悟しなければならない。集諦が完全に滅尽し止滅した時、これを滅と名づける。集諦が再び集起しなくなれば、苦は滅する。一切の苦諦が滅し再び余苦がなくなった時、寂静となる。五蘊による造作もなく、五蘊による受苦もなくなり、これを静と名づける。かくして苦諦が止滅寂静したことは、世間において最も第一であり、最も勝れており、無上であるが故に妙と説かれる。苦諦が止滅した後は余苦がなく、苦が再び生じることはない。このような状態は永遠に存在し、永く苦から出離しているが故に離と説かれる。かくして瑜伽行者は滅・静・妙・離の四種の行によって、滅諦の相を明らかに了知するのである。

滅・静・妙・離の四種の行によって滅諦の相を了知する。苦が滅するのは集が滅したためであり、もはや苦行を集起しないからである。五蘊身の身口意の行いは全て苦行であり、特に悪しき不善の身口意の行いである。心が五蘊の世間法に縁を攀じなければ、もはや苦を集めることなく、寂静を得るのである。心が寂静を得た後は自在解脱する。これは世間においては奇妙美妙である。なぜなら世間は遍く縁を攀じ苦に満ち、寂静でなく自在でなく解脱していないが故に、生命は妙ではないからである。解脱自在の生命は世間において最も第一殊勝であり、最勝であるが故に美妙である。苦を滅し解脱した後は、再び苦を受けることはない。解脱は永遠の解脱であり、無明煩悩の境界に退戻することなく、永く苦を離れるが故に離と名づけられる。かくして滅諦の相は滅・静・妙・離の四種の行によって、極めて明瞭に顕現されるのである。

——生如法師の開示
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