原文:また別の差別がある。すなわち、煩悩随眠を正しく了知すること。愛随眠などに附属する所依のものである。これが将来の世における後の有を生ずる因である。また、それによって生じる纏縛を正しく了知すること。それぞれ相応するものは集起の縁である。後の有を招き引く愛が即ちその集であり、この後の有への愛はさらに喜貪とともに起こる愛を発起する。この喜貪とともに起こる愛は、さらに多くの種々の愛を縁とする。このように愛随眠などを依止し、および三種の纏縛によって、後の有を生じ、また諸々の愛の差別相を発起することができる。故に因・集・起・縁と名づけるのである。このように修行者は四種の行によって集諦の相を了知する。
釈:四種の行にはさらに差別があり、正しく如実に煩悩随眠が愛随眠に附属することを了知する。愛随眠を依止して初めて煩悩随眠があり、愛がなければ煩悩もなく、愛もまた煩悩の因である。愛を断ずれば煩悩も断たれ、愛随眠は未来世における三有の生じる因である。愛随眠から生じる煩悩の纏縛を正しく了知し、それら一一に相応するものは集・起・縁の三つの行である。煩悩の纏縛は苦の種子を集起し、苦を現行させ、苦受を生じる縁となる。
煩悩随眠が後の有を招引する愛の故に、煩悩随眠は後の有への愛を集積し、さらに喜と貪を伴う愛を発起する。この喜貪を伴う愛はさらに種々の愛の縁となる。このように愛随眠などを依止し、および三種の纏縛によって、後の世の有を生じ、また諸々の愛の差別相を発起することができる。故に因・集・起・縁の四種の行と説かれるのである。愛随眠があれば煩悩の纏縛、喜の纏縛、貪の纏縛があり、この三種の纏縛があれば、後の世の有は必ず生じ、有が生じれば苦が生じる。このように修行者は四種の行によって集諦の相を明らかに了知するのである。
1
+1