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日常開示

2022年11月20日    日曜日     第2 回の開示 合計3756回の開示

瑜伽師地論 第三十四巻(五十)

復た差別有り。愛は取の因なるを了知するが故に、復た能く招集す。即ち其の取を以て因有と為すが故に、復た能く有を生起して上首と為し、当来の生を招く。又、生を縁として老病死等の諸苦法を引發するが故に、其の応に随って、因・集・起・縁と説名すべきを知るべし。

釈:四種の行の間には復た差別有り、次第同じからず。愛は取の因なるを了知し、愛は復た能く招集し、取は後世の有の因と成り、以て後世の有を生起し、有を縁として後世の五陰を出生し、復た生を縁とする老病死等の諸大苦聚を引發す。四種の行の次第に随い、即ち別々に因・集・起・縁と説く。

集諦の因は愛なり。愛有るが故に、取を生ぜしむ。取得するも取得せざるも、皆苦相有り。後世の有が生じ出でたる後、生相現前し、苦相即ち出現す。苦の根源たる貪愛を断除して初めて苦を断ずることを得。愛の因は受なり、受の因は触なり。触と受は有るも、触れ受くる時に貪愛無く、触れ受くる所に心無ければ、後世の苦は出現せず、集諦は滅す。今の愛は苦を引發する因なり、愛の集起は苦を出生せしむ。愛集は即ち苦集なり。苦生じたる後、苦受現起す。これを苦起と名づく。愛は能く未来の苦種子を摂受し、愛の招集する所は皆苦種子なり、能く未来の苦を生ず。愛・取・有・生・老が次第に諸苦の集起を招引す。故に愛は苦の縁なり。

集諦は十二因縁の中の一環に属す。解脱の道は、声聞法と縁覚法と互いに含摂し、共通の処有り。独立せる縁覚法無く、亦独立せる声聞法無し。唯だ二種の法の涉及する層次の深浅に差別有るのみにて、解脱に別無し。

——生如法師の開示
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