四聖諦の十六行相を修習することにより、四聖諦の相を明らかにすることができる。無常・苦・空・無我の四つの行相によって苦諦の相を明らかにし、因・集・起・縁の四つの行相によって集諦の相を明らかにし、滅・静・妙・離の四つの行相によって滅諦の相を明らかにし、道・如・行・出の四つの行相によって道諦の相を明らかにする。このうち、十種の行相によって苦諦を観察し、苦諦の四つの行相に悟入することについてはすでに述べた。次に、如何にして集諦の四つの行相を修習し、集諦の相を明らかにするかについて述べる。
原文:また四つの行相によって、苦諦の相を正しく覚知した後、次にこのような苦諦は何を因とし、何を集とし、何を起とし、何を縁とするかを観察する。それらを断ずることによって、苦もまた従って断たれる。このようにして集諦の四つの行相によって、集諦の相を了知する。すなわち、愛が苦を引き起こすことができるゆえに、これを因と名づけることを了知する。苦を引き起こした後、さらにそれを招集して生じさせるゆえに、これを集と名づける。苦が生じた後、それを現起させるゆえに、これを起と名づける。さらに未来の諸々の苦の種子を摂受し、次第に諸々の苦集を招引するゆえに、これを縁と名づける。
釈:苦・空・無常・無我の四つの行相によって、苦諦の相を如実に誤りなく覚知した後、再びこれらの苦諦が現れる因は何か、苦はいかにして集積されるか、苦はいかにして生起するか、苦は何を縁として現れるかを観察する。この因・集・起・縁という四つの行相を断ずることによってのみ、苦はそれに従って断たれる。したがって集諦の四つの行相を観察して集諦の相を断じるのである。愛が苦を引き起こすことができることを了知し、愛を苦の因であると説く。苦を引き出した後、さらにそれを招集して苦を出生させるゆえに、これを苦集と説く。苦が生じた後、苦受を現起させるゆえに、これを起と名づける。さらに未来世の諸々の苦の種子を摂受し、次第に諸々の苦集を招引するゆえに、これを縁と名づける。
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