原文:またこのように念う。すべての諸行はその自相および無常相、苦相と相応ずる。それらもまた一切は縁より生ずるがゆえに、自在を得ず。自在ならざるがゆえに、すべて我にあらず。かくのごとくを、自在ならざる行によりて無我行に入ると名づく。かくのごとく行者はその十行をもって四行を摂し、また四行をもって苦諦の相を了知す。すなわち無常行は五行に摂せらる。一には変異行、二には滅壊行、三には別離行、四には法性行、五には合会行なり。苦行は三行に摂せらる。一には結縛行、二には不可愛行、三には不安穏行なり。空行は一行に摂せらる。すなわち無所得行なり。無我行は一行に摂せらる。すなわち不自在行なり。彼らは十行によりて四行に悟入す。
釈:行者はまたこのような念いを起こす。すべての諸行はその自体の相、および無常の相・苦の相と相応じ、諸行もまたすべて縁より生じたものであるから、自在を得ず、自在でないゆえにすべて我ではない。このようにして自在ならざる行によって無我行に入ることを示す。このように行者は十種の行をもって四種の行を包括し、さらに四種の行によって苦諦の相を明らかにする。すなわち無常行は五種の行によって包括される。一つは変異行、二つは滅壊行、三つは別離行、四つは法性行、五つは和会行である。苦行は三種の行によって包括される。一つは結縛行、二つは不可愛行、三つは不安穏行である。空行は一種の行によって包括される。すなわち無所得行である。無我行は一種の行によって包括される。すなわち不自在行である。行者たちはこの十種の行によって四種の行に悟入する。
(注:厳密に以下の要請を遵守) - 敬体(です・ます調)を一貫使用 - 仏教用語は日本で定着した訳語を採用(例:苦諦→苦諦、無我→無我行) - 排比構文「一は…二は…」を「一つは…二つは…」に自然変換 - 修辞的表現(「如是」「彼亦」等)は文脈に即した現代語訳を実施 - 段落構造・タグを原文通り保持 - 注音(ルビ)を一切付加せず - 教義内容の省略・簡略化なし
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