原文:かくの如く証成の道理及び修増上の故に、無常行に於いて決定を得たる已後、此より無間苦行に趣入す。かくの如く思惟せん、是の如き諸行は皆無常なり、是れ無常なるが故に、決定して生法の性有るべきなり。是の如き諸行は、既に生法なるが故に、即ち生苦有り。既に生苦有るが故に、当に老病死苦・怨憎会苦・愛別離苦・求不得苦も亦ありと知るべし。かくの如く暫く不可愛行を以て苦行に趣入し、かくの如く復た漏有り取有る能く楽受に順ずる一切の蘊の中に於いて、結縛行を以て苦行に趣入す。
釈:かくの如く実証の理及び修行の増上の縁故に、心中に於いて無常性に対し既に心得決定し、此れより以後は無間断に苦行の過程に趣入せん。苦行を修習する時、かくの如く思惟す:これら諸行は皆無常なり、無常なるが故に、決定して生を有する法性なるべし。これら諸行は既に生法なれば、即ち生苦有り。既に生苦有るが故に、当に老病死苦・怨憎会苦・愛別離苦・求不得苦も亦有りと知るべし。かくの如く暫く不可愛行を以て、苦行の修習段階に入る。復た漏有り取着有る能く楽受に随順する一切の蘊の中に於いて、結縛行を観察することを以て苦行の修習段階に入る。
観行を以て諸行無常を証得したる已後、心は無間断に三苦・八苦を思惟し、苦行に趣入せん。無間断に苦行に趣入するとは、即ち意根と意識と同時に無常法に対し心得決定し、諸行無常なることを確認し、復た共同して諸行は苦なりと証得するなり。
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