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日常開示

2022年11月10日    木曜日     第1 回の開示 合計3740回の開示

瑜伽師地論第三十四巻(三十九)

原文:それらの因縁によって、今、自他の差別が生じる。自在変化を因とするべきではない。なぜならば、もし自在変化を因として諸行が生じると説くならば、この生じた諸行は、ただその自在を縁とするのか、それとも他の縁を待つのか。このように自在が変化するためにはどうか。もしただ自在を縁とするならば、諸行とその自在は本来から存在すべきであり、どうしてさらに生じる必要があろうか。

釈:種々の因縁によって、今、様々な諸行の自他の差別が現れている。諸行の自他差別が現れる原因は、自在変化であるべきではない。なぜかと言えば、もし自在変化が諸行を生じる因であると説くならば、この因によって生じた諸行は、ただ自らの自在を縁とするのか、あるいは他の縁を必要とするのか。このような自在が変化するためにはどうか。もしただ自らの自在を縁とするならば、諸行とその自在は本来から存在すべきであり、既に本来から存在するならば、どうして再び生じる必要があろうか。

原文:もし「自在の体性が先に存在し、その後で諸行が生じる」と言うならば、この諸行はただ自在を縁として生じるものではない。もし「自在がその欲する所に従って機能し、祈願によって初めて造化する」と言うならば、したがって欲も因縁として用いるのであり、ただ自在だけではない。もしそうであるならば、この欲には因があるのか、それとも無因なのか。もし「因がある」と言い、自在を以て因とするならば、これは先に述べた過失と同じであり、道理に適わない。もし「この欲にはさらに他の因がある」と言うならば、それは欲の機能や祈願のように、自在を離れた他の法を因とするのである。このように一切の諸行は皆、他の法を以て因とするべきであり、どうして虚妄に自在を計執する必要があろうか。

釈:もし元来から自在の体性が存在し、その後で諸行が生じると言うならば、このような諸行はただ自在を縁として生じるものではない。もし自在がその欲する所に従い、その機能作用は乞い求め発願することによって初めて諸行を造化すると言うならば、諸行は欲を因縁として生じるのであり、ただ自在だけが縁ではない。もしそうであるならば、この欲が生起するには因があるのか、それとも無因なのか。もし因があると言い、自在を以て因とするならば、これは以前に説いたのと同じ過失があり、道理に合わない。もしこの欲の生起に他の因があると言うならば、それは欲の機能が祈願によって実現されるように、自在を離れた他の法が生起の因となるのである。もしそうであるならば、一切の諸行は皆他の法を以て生起の因とするべきであり、どうして虚妄に自在を因と計執する必要があろうか。

——生如法師の開示
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