衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2022年10月27日    木曜日     第1開示 合計3717開示

頭に自然と浮かぶ念仏の声はどのように生じるのか?念仏を唱えるのは誰でしょうか。

自然に現れる念仏の声は、すべて意根から発せられるものであり、意根が念仏しているのである。最初は意識が気づかないが、気づいた後は制御できず、仏号の声に従わざるを得ない。自覚は意識自身の覚であり、不自覚は意識自身の覚ではなく、意根の覚であり、意根の行為である。この種の念仏三昧は禅定の境地であり、この定は比較的固く、この三昧の境地を借りて四念処を観行すれば、心も清浄であり、観行しやすい。

自然に念仏の声が現れ、かつ絶え間なく心の中や脳裏にまとわりつく、これが念仏三昧である。様々な三昧はすべて意根から発せられる。なぜ意根が三昧を起こすことができるのか。念仏の功夫が未熟な場合は念仏三昧は現れず、各種の観行功夫が不足している場合も三昧の境地は現れない。いわゆる功夫の熟達とは、長期間にわたり一つの修行を堅持することにより、意根を成功裏に染み込ませ、意根が染み込んで成就されると、自動的に自覚的に念仏と観行を行い、様々な三昧が現れることを指す。各種の三昧の出現は意識によって決定されず、意識によって制御されない。意識は受動的に受け入れ、受動的に三昧の境地に溶け込み、三昧と身心の覚受を体得するのみである。

——生如法師の開示
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