原文:無常の性。いかにして数数尋思観察すべきか。先に内外の二事を安立す。内事とは六処等をいう。外事とは十六種あり。一に地事。城邑・聚落・舎宅・市廛等をいう。二に園事。薬草・叢林等をいう。三に山事。種々の山の安布差別をいう。四に水事。江河・陂湖(ひ)・衆流・池沼をいう。五に作業事。六に庫蔵事。七に食事。八に飲事。九に乗事。十に衣事。十一に荘厳具事。十二に舞歌楽事。十三に香鬘塗飾事。十四に資生具事。十五に諸光明事。十六に男女承奉事。かくのごとく十六種の事と名づく。
釈:諸行無常の性をいかにして絶えず尋思観察すべきか。先に五陰身の内外二事を安立す。内事とは眼・耳・鼻・舌・身・意の六処等をいう。外事とは衣食住用行等十六種あり:第一は地事、城邑・部落・舎宅・交易の場所等を含む。第二は園事、薬・花草樹木を植える処を含む。第三は山事、高山・丘陵等の大小様々な山を含む。第四は水事、江河・大海・湖沼・池等の水が集まる処を含む。第五は作業事。第六は庫蔵事。第七は飲食の事。第八は飲水の事。第九は車乗の事。第十は着衣の事。第十一は荘厳具事。第十二は歌舞音楽の事。第十三は香花塗鬘装飾の事。第十五は光明照耀の事。第十六は男女承奉の事。
これらの事はすべて世俗界の無常の事であり、これらの法が無常である所以は、全て有為造作の生・住・異・滅の法であり、生じた後は念々に留まらず、絶えず変異し、ついに滅尽に至るからである。衆生は幼少より常にこれらの無常の事を行いながら、無常を覚えず。至教の量理を修習した後、意識ではこれらの事の無常性を理解しやすいが、意根が鈍く容易に受け入れがたい。故に戒定慧を修習し、禅定において観行し、ついに無常性を証得する必要がある。証得とは現見をいう。現見とは法の無常性を現前に観察することで、意識の思惟や理解によるものではない。無常性が明らかに現前し、信服せざるを得ず、直ちに受け入れることが証得であり、同時に三昧が現れ、内心が法の無常の感知の中にあって動揺しない状態となる。
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