仏が衆生に極楽浄土への往生を保証するのは三つの条件のみで、いずれも観無量寿経に記されている。第一に、十六観中の第三観である水想観を修め完成すれば、命終すれば必ず極楽浄土に往生することが保証される。続く第四観から第十六観までは更に往生を保証するもので、第三条と合わせて一つの条件と見なされる。第二に、我見を断じた者は命終すれば必ず極楽浄土に往生し、中品上生することが保証される。第三に、明心を得た者は命終すれば必ず極楽浄土に往生し、上品上生することが保証される。その他の修行方法でも極楽往生は可能だが、保証はされず不確定であり、往生する場合もあればしない場合もあり、最期の一念の状況によって定まる。
仏や諸聖がなぜ神通力で衆生を強制的に導かないのか。
仏は心中の仏であり、聖は心中の聖である。心に仏があれば仏は現れ、心に聖があれば聖は顕れる。もし心に仏聖がなければ、仏聖は現れず、その心を怨むこともない。
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