見地の地とは、修証の段階や置かれた身分・地位を指す。『瑜伽師地論』において弥勒菩薩は地を十七地に分け、凡夫地から仏地に至る。各地において身分は異なり、地位は上昇し、福徳・智慧・禅定の差異によって区分される。うち欲界には九地あり、福徳に基づいて区分され、色界・無色界は禅定に基づいて区分されるが、智慧の補助も含まれる。凡夫・阿羅漢・辟支仏・菩薩・仏地は証量(悟りの深さ)によって区分され、証量には福徳・禅定・智慧が含まれる。
したがって「見地」という語は凡夫には用いられない。知見が実証され、見解が確認され、無生忍や無生法忍を証得すれば、一定の解脱智慧が得られ、身分は聖賢の地位・次元に上昇する。以前の知見・見解は見地へと変容するのである。
知見・考え・観点が実証されていないものは、単に知見・知解・個人的な考えと呼ぶに過ぎない。自らの観点・見解が正しいことを実証するには、戒定慧を修習し、禅定の中で参究し、自ら証得し、自ら見ることが必要である。遠くから思惟し推測したり、主観的に憶測したりするものではない。主観的な憶測では疑いを断ち切れず、自ら見て実証したものこそ疑いを断ち切れる。疑いを断った後に初めて解脱智慧が生じ、身心世界が根本的に転換する。これにより思想の次元・身分・地位は全て上昇するのである。
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