衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2022年08月02日    火曜日     第1 回の開示 合計3662回の開示

四正勤の修行(七)

瑜伽師地論第二十九巻(七)

原文:此の四種も亦た正勝と名づく。謂わく、黒品の諸法に於いて、未だ生ぜざるものは、生ぜしめざらんが為に。已に生じたるものは、断滅せしめんが為に。欲を生じ策励し、勤精進を発し、心を策し心を持つ。是れ二つの正勝なり。白品の諸法に於いて、未だ生ぜざるものは、生ぜしめんが為に。前の黒品の如く広説するが如く、応に知るべし、是れ二つの正勝なり。

釈:以上の四種の修習方法は、四正勝とも称される。黒品の煩悩の法について、未だ生起していないものは生じさせないように、既に生じたものは断滅させるべく、欲求と奮起を生じ、勤勉精進の心を起こし、心を奮い立たせ保持する。これが二種の正勝である。白品の諸善法について、未だ生じていないものは生起させるべく、既に生じたものは堅固に安住せしめ円満させるべく、願望と奮起を生じ、精進修行を発心し、心を奮い立たせ保持する。これもまた二種の正勝である。

勤とは勤勉精進の意、勝とは心の優越、即ち精進の意、正とは方向と方法の正確無謬を指す。正しい方向に精進するは正精進であり、絶えず目標に向かって進むこと。逆に正しからざる方向に精進するは邪精進であり、精進すればするほど目標から遠ざかる。仏法を学ぶ多くの者が陥る邪精進とは、修行の目標と原理を弁えず、ただ盲目的に努力するもので、勇猛さはあれど智慧を欠いている。

原文:此の四種も亦た正断と名づく。一を律儀断と名づく。謂わく、已に生じたる悪不善法を、断ぜしめんが為に、欲を生じ策励し、広説するが如し。二を断断と名づく。謂わく、未だ生ぜざる悪不善法を、生ぜざらしめんが為に、欲を生じ策励し、広説するが如し。已に生じたる悪不善事に由り、応に律儀を修し、其の断滅を令すべし。忍受すべからず。此の因縁に由り、律儀断と名づく。未だ生ぜざる悪不善事に於いては、其の現行せざらしめんが為に断じ、現前せざらしめんが為に断じ、断ずるが故に断ず。故に断断と名づく。

釈:此の四正勝は四正断とも称される。第一は身口意の作る律儀断で、既に生じた悪不善法を断じるべく欲求と奮起を生じる。第二は断断で、未だ生じていない悪不善法が生起しないよう欲求と奮起を生じる。既に生じた悪不善法に対しては身口意の律儀を修し、これを断除すべく、悪不善法を放任して生起増長せしめてはならない。これを律儀断と謂う。未だ生じていない悪不善法については、その現行を阻止して断じ、現前を防いで断じ、断ずるが故に断ずる。これを断断と称する。

原文:三を修断と名づく。謂わく、未だ生ぜざる一切の善法を、生ぜしめんが為に、広説するが如く、乃至心を策し心を持つ。善法を数修数習するに由り、先未だ得ざる所を能く現前せしめ、能く断ずる所有らしむ。故に修断と名づく。四を防護断と名づく。謂わく、已に生じたる一切の善法を、住せしめんが為に、広説するが如く、乃至心を策し心を持つ。已に得たる已に現在前に在る諸善法中に於いて、放逸を遠離し、不放逸を修し、能く善法を住して忘失せず、修習を円満せしむ。已に生じたる所有の善法を防護し、能く断ずる所有らしむが故に、防護断と名づく。

釈:第三は修断で、未だ生じていない善法を生起させるべく心を奮い立たせ保持する。善法を繰り返し修習することにより、従来得られなかった善法を現前せしめ、悪不善法を断除する作用を生じる。これを修断と称する。第四は防護断で、既に生じた善法を保持するべく心を奮い立たせ保持する。既に獲得され現前している諸善法において放逸を離れ、不放逸を修することにより、善法を堅固に保持し忘失せず、修習を円満ならしめる。既に生じた善法が悪不善法を防護し断除する作用を有する故、防護断と名付ける。

防護とは悪不善法の出現を防ぐこと。心中に善法あれば悪不善法は現れず、善悪同時に現前せざるが故に、善法は防護の作用を為す。善法が堅固となれば、もはや悪不善業を造作せず、これは長時の善法修習の結果である。四正勤は初修の助道法であり、見道の必要条件である。故に見道の者は相応する粗重な煩悩を断除し、心中の善法は堅固で悪不善法は容易に現前しない。

もし四正勤を修了しても命終までに見道に至らぬ場合、心の変化の故に来世の悪報は軽微となるが、善法の退失と悪不善法の再現を完全には保証しない。業縁の故に悪環境に染まることも免れ難いが、善法の基盤ある故に再び善縁に遇えば、善法は容易に生起し修習も迅速である。見道後に至って初めて善法は保持され、不断に堅固増長し円満してゆく。

——生如法師の開示
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