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日常法話

2022年06月09日    木曜日     第1開示 合計3643開示

法智と類智

瑜伽師地論第三十四巻原文:彼はかくの如く自らの内に於いて現に見る諸蘊に依り、諸諦の理に依って倒れ無く尋思し正しく観察し終えて後、更に所余の不同分界、現に見えざる蘊を比度観察す。謂わく、彼の所有する為有為有漏は、遍一切処、遍一切種、一切時に於いて、皆かくの如き法有り、皆かくの如き理に堕ち、皆かくの如き性有り。彼の所有する滅は皆永く寂静にして、常住安楽なり。彼の所有する道は皆能く永く断じ、究竟出離す。当に知るべし、此の中に若し現見する諸蘊に於ける諦智有らば、若し所余の不同分界、現見せざる境に於ける比度諦智は、即ち是れ能く法智・類智の種子を生ずる依処なり。

釈:瑜伽行者はかくの如く自らの内身に現前に五蘊を観見し、四聖諦の理に依って倒れ無く尋思し、正しく観察した後、更に他の異なる分界に現前に観察し得ない五蘊に対し、比度観察を行う。五蘊中の所有する有為法・有漏法は、遍一切処、遍一切種子、遍一切時にわたり、皆現前に観察された法の如く、悉く四聖諦の理に摂属し、苦・空・無常・無我の性質を有する。これらの法は皆生滅するもので、滅した後は永遠に寂静であり、寂静後は永遠に常住で安楽である。世間の所有する道は皆永遠に断滅し、究竟に出離して世間の苦を離れる。

これらの法の観察の中に於いて、もし現前に存在する五蘊に対し如実に観察し、現量をもって四聖諦の真実理を証見すれば、法智を生じ、これが法智種子の依処となる。もし現前に存在する法以外の所余、即ち現前に存在しない五蘊法に対し比度観察を行い証見の智慧を生じたならば、これが類智であり、類智種子の依処である。

ここに法を証する二種の方式を説く。一は当前に存在する五蘊の如実観察、二は非当前に存在する五蘊の比度観察であり、両方の観察とも諦智を得ることができる。非当前に存在する五蘊とは何を指すか。これは即ち当下一刻以前と以後の五蘊を指す。もし今日の五蘊が現前であるならば、昨日以前の五蘊と明日以後の五蘊は非当下の五蘊であり、当下の五蘊と分界があり、時間点は異なるが、五蘊の性質と特徴は同じであり、同類であり、共通性があり、比べ得るものである。

もし今年の五蘊が当下の五蘊であるならば、去年以前の五蘊と明年以後の五蘊は非当下の五蘊である。もし今世の五蘊が現前の五蘊であるならば、前世と後世の五蘊は現前に見えざる五蘊である。これに類推して、三大阿僧祇劫の五蘊は皆当前の五蘊と同じ属性を有する。或いは無始劫以前より無始劫以後に至るまでの五蘊には皆共通の属性と性質・特徴があり、悉く同類であり、比べ得るものである。もし神通によって見る五蘊は、皆当下の五蘊・現前の五蘊であり、悉く現前観察であり、比度観察はなく、得られるのは皆法智であって、類智ではない。同類の衆生の五蘊及び一切衆生の五蘊を観察して得られるのも類智である。何故なら衆生は皆同一類であり、有情であるからである。

正しい比度は法智と類智を生じさせることができる。現前に存在する五蘊を正しく如実に観察する基礎の上に、更に非現前に存在する所余の五蘊を比度観察すれば、法智と類智を生じ、見道の無生智を得ることができる。分界とは過去と未来の異なる時期の法と当下の法との境界と分割を指す。法と法に境界が生じると、法を観察する方式も異なり、得られる智慧の種類も異なる。現見できる法は現量観察であり、現見できない法は比度観察である。観察が正しく如実であれば、諦智と無生忍を得るのである。

回向文:我々のネットワークプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を以て、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向し、世界平和を祈願し、戦争起こらず、烽火興らず、干戈永く止み、一切の災難尽く消退せんことを! 各国の人民が団結互助し、慈心をもって相い向かい、風雨順調に国泰民安ならんことを祈願します! 一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺さず、広く善縁を結び、広く善業を修め、仏を信じ学び、善根増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の路を開かんことを! 仏教が永く興隆し、正法が永く住し、三界の火宅を極楽の蓮邦に変ぜんことを祈念します!

——生如法師の開示
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