衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
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日常法話

2022年06月07日    火曜日     第1開示 合計3642開示

四つの行による道諦の相の解明

『瑜伽師地論』第三十四巻原文:滅諦の相を正しく覚了した後、更に真の対治道を正しく覚了する。知るべき境において能く通じて義を尋求するが故に、能く実に義を尋求するが故に、四門に由って随転の義が有るが故に、一向に能く涅槃に趣く義が故に、それ故に道・如・行・出と名付けて説く。かくの如き行者は四種の行によって道諦の相を了知する。

解釈:道・如・行・出という四種の行によって道諦を明らかにする。行者は滅諦の相について如実に正しく覚悟した後、最終的には更に如実に正しく修めるべき道を覚悟し、苦を滅して解脱を得るのである。苦を滅し集を断つために修める道を「道」と名付ける。知るべき境に対して、能く通達してその真実の義を尋求するが故に、能く如実にその真実の義を尋求するが故に、「如」と名付ける。修道の過程において、その身口意の諸行が苦・空・無常・無我の義に随順し、もはや苦諦が集起する苦行に背かなくなることを「行」と名付ける。修道の後、心行が次第に寂滅し、絶えず涅槃に趣き、生死を出離することを「出」と名付ける。このように瑜伽行者は道・如・行・出という四種の行によって、道諦の相を明らかにするのである。

真の対治道とは何を指すのか。道とは方法・手段・経路を指し、対治とは心中の貪・瞋・痴・無明の煩悩に対治することを指す。無明とは苦を知らず、苦集を知らないことである。それ故にこの不知に対治し、知へと転換する必要がある。もし無明が無ければ対治は不要である。この中の過程こそが修道であり、戒・定・慧や三十七道品を修め、四聖諦を思惟観行することである。これが道行である。

如行とは、心を苦・空・無常・無我という真理・法理に相応させ、知るべき境である四聖諦の法について、能く通達して深くその真実の理を思惟し、能く如実にその法理を思惟観行し、知るべき境の内包する正理を了達し、それによって四聖諦の真理を証得することである。行行とは、如行によって無明を断つことを基礎として、心行が転換し、その所有する心行が認知した真理に随順し、苦・空・無常・無我という真実の理に背かなくなることである。出行とは、修道を通じて煩悩を断除し、身口意の行が清浄となり、もはや五蘊(うん)の世間に攀縁せず、寂静無為となり、身心解脱して涅槃に趣き、涅槃に相応し、三界を出離し、生死輪廻の苦から解脱することを指す。

以上の四種の行によって知られるように、修道の過程において戒定慧が増長し、五蘊の世間に対する認知が真実の理に契合し、無明が薄らぎ、煩悩が軽減され、心行が聖道に背かず、身心世界が次第に転換する。転換がある程度に達し、道に相応し、聖賢に相応すれば、聖道を証得するのである。証果を得た後で初めて徐々に身心を転換させるのではなく、もし身心を聖賢に相応するまで転換させなければ、聖賢となることはできない。それは学生の試験の如く、合格しなければ入学できないのと同じ理である。

回向文:我らがネットワークプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を以て、法界の一切衆生に回向し、世界の民衆に回向する。世界平和を祈願し、戦争起こらず、烽火興らず、干戈永く止むことを。一切の災難ことごとく消退せんことを。各国の人民が団結互助し、慈心をもって相い向かい合うことを祈願する。風雨順調に、国泰民安ならんことを。一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、広く善縁を結び、広く善業を修め、仏を信じ学び、善根増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の路を開かんことを。仏教の永き興隆、正法の永住を祈願し、三界の火宅を極楽の蓮邦となさんことを。

——生如法師の開示
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