瑜伽師地論第三十四巻原文:集諦の相を正しく覚了した後、更に正しく覚了するが如く、この集諦が余すところなく息滅する。故に滅と名付く。一切の苦諦が余すところなく寂静となる。故に静と名付く。即ちこの滅静が第一なるが故に、最勝なるが故に、無上なるが故に、妙と説き名付く。常住なるが故に、永く出離するが故に、離と説き名付く。かくの如く行者は四種の行によって滅諦の相を了知する。
釈:滅・静・妙・離という四種の行によって滅諦の相を明らかにする。集諦の相に対して正しく如実に覚了悟達した後、更に正しく如実に滅諦の四種の行を悟らねばならない。集諦が完全に滅尽息滅した時、これを滅と名付ける。集諦が集まらなくなれば、苦は滅する。一切の苦諦が滅し再び余苦が無くなった時、ここに寂静となる。五蘊の造作も無く、五蘊の受苦も無い。これを静と名付ける。かくして苦諦が息滅寂静することは世の中で第一であり、最勝であり、無上である。故に妙と説く。苦諦が息滅した後は余苦が無く、苦が再び生じることはない。このような状態は永遠に存在し、永く苦から出離している。故に離と説く。かくして瑜伽行者は滅・静・妙・離という四種の行によって滅諦の相を明らかにするのである。
苦が滅するのは集が滅したためであり、もはや苦行を集起しないからである。五蘊身の身口意の行いは全て苦行である。特に悪や不善の身口意の行いである。心が五蘊の世間法に攀縁しなければ、苦を集めず、寂静を得るのである。心が寂静を得た後は、自在解脱し、世の中にあっては奇妙なものとなる。なぜなら世の中は広く攀縁と苦に満ち、寂静でなく自在でなく解脱していないからである。故に生命は妙ではない。解脱自在の生命は世の中で第一殊勝・最殊勝である。故に美妙である。苦を滅し解脱した後は、再び苦を受けることはない。解脱は永遠の解脱であり、無明煩悩の境界に戻ることはない。永遠に苦を離れる。故に離と呼ぶのである。かくして滅諦の相は滅・静・妙・離という四種の行によって、極めて鮮明に示されるのである。
回向文:私たちのネットワークプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を以て、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向する。願わくは世界が平和で戦争が起きず、烽火が興らず干戈が永く止み、一切の災難が尽く消退しますように。願わくは各国の人民が団結互助し慈心をもって相対し、風雨順時にして国泰民安となりますように。願わくは一切衆生が因果を深く信じ慈心をもって殺生せず、広く善縁を結び広く善業を修め、仏を信じ仏を学び善根を増長し、苦を知り集を断ち滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の路を開きますように。願わくは仏教が永く興隆し正法が永く住し、三界の火宅を変じて極楽の蓮邦と成しますように。
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