内外五つの行によって無常性を観察する。すなわち変異無常・滅壊無常・別離無常・合会無常・法性無常である。
いかにしてまた別離行によって無常性を観るべきか。内外二種の別離に依ることを知るべきである。諸行が無常性であることを知る。内別離の無常性とは、例えばある者が先に主人であったが、奴隷でも使用人でもなく、自ら享受し、他人を駆使して諸事業を行っていた。後に主人の性質を失い、奴隷や使用人の性質を得ず、他人の奴隷となり使われる性質に転じる。主人の性質などは別離無常の性と呼ばれる。外別離の無常性とは、現前に存在する資生財宝が先に変化せず、別離無常の滅壊に遭わなかったものが、後に王・盗賊・憎むべき者や共有財産などに奪われ、あるいは悪しき行為によって失われ、あるいは方便を求めても得られない類いである。これを以て別離行によって無常性を知る。
いかにして法性行によって無常性を観るべきか。すなわちすべての変異無常・滅壊無常・別離無常が、現在世においてまだ合会せず、未来世において法性を有することを、如実に通达する。このような諸行が未来世に法性を有する類いを、法性無常を通达するという。
いかにして合会行によって無常性を観るべきか。すなわちこのような変異無常・滅壊無常・別離無常が、現在世において合会現前することを、如実に通达する。このような諸行が現在世に現前合会する類いを、合会無常を通达するという。このように内外の諸行における五無常性を、五つの行によって相応しく作意修習し、多く修習する故に決定を得る。
このように証成道理と修増上によって無常行の決定を得た後、ただちに苦行に入る。かく思惟す「これらの諸行は皆無常なり。無常なる故に生法性を有す。生法たる以上生苦あり。生苦ある故に老病死苦・怨憎会苦・愛別離苦・求不得苦あるを知るべし」。まず不可愛行によって苦行に入る。さらに有漏有取の楽受に順じる一切蘊において、結縛行によって苦行に入る。
なぜならば、愛等の結処に愛等の結を生じ、貪等の縛処に貪等の縛を生ずれば、生老病死愁悲憂苦、一切の擾悩純大苦蘊を招集する。また有漏有取の非苦楽に順じる一切蘊において、不安隠行によって苦行に入る。なぜならば有漏有取の諸蘊は粗重と俱に行じ、苦楽の種子に随逐され、苦苦・壊苦より解脱せず、一切皆無常滅法なるが故である。
このように行者は、楽受に随順する諸行及び楽受において結縛行によって壊苦に入り、苦受に随順する諸行及び苦受において不可愛行によって苦苦に入り、不苦不楽受に随順する諸行及び不苦不楽受において不安隠行によって行苦に入る。かくして結縛行・不可愛行・不安隠行の増上力により、三受において「諸所有受皆悉く苦なり」と説く。これを無常行作意を以て先とし、苦行に入るという。
さらに思惟す「今わが有するは諸根のみ、境界のみ、彼より生ずる諸受のみ、心のみ、仮名の我我所法のみ、見解のみ、仮立のみ。この中に可得あるのみで、これ以外に過不足なし」。ただ諸蘊あるのみで、蘊中に常恒堅住の主宰たる我・有情・生者老者病者死者、あるいは業を造り種々の果報を受ける者なし。よって諸行は皆空なり、我無きが故に、これを無所得行によって空行に入るという。
さらに思惟す「すべての諸行はその自相と無常相・苦相と相応じ、全て縁より生じ自在を得ず。自在ならざる故に我にあらず」。これを不自在行によって無我行に入るという。このように十行を四行に摂し、四行によって苦諦相を了知する。すなわち無常行は五種の行に摂され、苦行は三種、空行は一種、無我行は一種の行に摂される。十行によって四行を悟入し、四行によって苦諦相を正覚了する。
回向文:当ネットプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を、法界のすべての衆生に回向いたします。世界の民衆に回向し、世界平和を祈願し、戦争起こらず、烽火興らず、干戈永遠に止むことを。一切の災害ことごとく消退せんことを。各国人民が団結互助し、慈心をもって相対し、風雨順い時をなし、国泰民安ならんことを。すべての衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、善縁を広く結び、善業を修め、仏法を信じ学び、善根を増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉じ、涅槃の路を開かんことを。仏教の永き興隆と正法の永住を祈り、三界の火宅を極楽の蓮邦とならしめんことを。
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