衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2022年05月06日    金曜日     第1開示 合計3622開示

修所成慧の四加行と四善根

四念処の観行は、四聖諦と関係があるのでしょうか。四念住の観行過程において、各念住ごとに四聖諦の理を観行します。これを合わせると十六の行相を観察することになり、十六行相を具足して観行すれば、四種の智慧の境地、すなわち四種の善根が得られます。この四種の善根とは、暖・頂・忍・世第一のことで、四加行とも呼ばれます。これは見道の前に必ず経なければならない段階であり、四加行(四善根)は修所成慧に属します。これ以前は聞慧と思慧に属し、比較的浅く、意根までは熏習されていません。意根に熏習が及び、意根に何らかの触発や変化が生じ、苦・空・無常・無我に随順し、順決択分が発起されて初めて、修所成慧が得られるのです。修所成慧を得て、それが円満具足した時に初めて見道できます。したがって四加行は非常に重要であり、皆様もご理解いただけると思いますので、この方面の法について少しずつお話ししていきます。

さらに皆様に補足すべき理論として三十七道品があります。少し詳しくお話しし、各自が自分が三十七道品を修めているかどうか、またどの程度まで修めているかを把握できるようにします。最後に、見道以前の修道過程において、禅定の中でどのような比較的粗重な欲界の粗煩悩を断ずる必要があるかについてお話しします。細かな煩悩は見道以後でなければ断じられず、見道以前には断じられません。色界の煩悩はなおさら断じられません。こうした小乗の法は、基本的にほぼ十分であり、これ以上多くを語る必要はありません。

修道とは、実に時間の九割を個人が修行に専念し、ごくわずかな時間を聞法に使い、理論的な知見を吸収して修行を指導し、道を誤ったり脇道にそれたりしないようにすることです。理論的な知見がほぼ十分に吸収されたら、完全に個人が一心不乱に修行に専念すべきであり、これ以上時間をかけて理論を学ぶことは、かえって妨げとなります。したがって私も今後はあまり多くの法を語りたくはありません。皆様の実修の妨げにならないためです。もし今後、理論的に不足している点が見つかれば、その際に少しずつ補足します。具体的には実修を主とし、理論は十分であれば良いのです。貪って多くを求めても大した役には立たず、時間の無駄になります。

四加行の修行段階では、効果的に意根に熏習が及ぶため、身心ともに変化が生じます。心は以前より清浄になり、煩悩は軽減され、身口意の行いが変わります。このようにして初めて、次第に見道後の聖賢の心行の質に相応し、見道できるのです。ですから、自分自身の身心が変化し、煩悩が軽くなったからといって、見道した、証果したということにはならず、まだ程遠いのです。大乗の法で悟った悟ったと常に疑っている人々は、もしこれらの法を修めていなければ、修めても具足円満していなければ、今後はその疑いを断ち切ってください。疑う必要はありません、自分は悟っていないのです。解悟ですらありません。悟った後と悟る前で身心世界の変化がほとんどない人、あるいは全く何の変化もない人で、ただ知見が少し増えただけの人、中には知見すら不足している人、こうした人々は三十七道品も修めておらず、四加行にも至っておらず、ただ聞思の段階にいるだけです。このような誤解は実に甚だしいものです。なぜこのような誤解が生じるのでしょうか。

回向文:私たちのネットワークプラットフォームにおけるすべての弘法と共修の功徳をもって、法界の一切衆生に回向し、世界の民衆に回向いたします。世界平和を祈願し、戦争が起こらず、烽火が上がらず、干戈が永遠に止みますように。あらゆる災難がことごとく消退しますように。各国の人民が団結し助け合い、慈しみの心をもって互いに接しますように。風雨順調で五穀豊穣、国家安泰で民衆安寧でありますように。一切衆生が深く因果を信じ、慈しみの心をもって殺生せず、広く善縁を結び、広く善業を修め、仏を信じ学び、善根が増長しますように。苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし、涅槃の路を開きますように。仏教が永く興隆し、正法が永く住しますように。三界の火宅を変じて極楽の蓮邦となりますように。

——生如法師の開示
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