問:衆生は常に涅槃の中にいるのか、それとも無余涅槃の後に初めて涅槃に戻るのか。
答:無余涅槃の後には、自性清浄の本心のみが残り、五蘊のいずれの法も存在しない。それゆえ衆生はおらず、衆生がいない以上、誰が涅槃に入るのか?誰が涅槃に戻るのか?涅槃に入る者もおらず、戻る者もいない。
涅槃は清浄法界を表し、自性清浄心を表す。生滅せず、形も相もなく、内も外もなく、寂静で動かない。衆生は涅槃に対し出ることも入れない。衆生と涅槃の関係は、衆生全体が即ち涅槃である。ちょうど金器と金の関係のように、金器の形は千差万別であっても、全ての金器は内から外まで金ではないものはない。金器がさらに金に戻るという説は存在しない。衆生の五蘊身心のいずれの法も、清浄なる涅槃心が造ったものでなくなることはなく、実質は全て清浄なる涅槃である。再び涅槃に入る、涅槃に戻るという説はない。
衆生は涅槃を離れたことがなく、永遠に涅槃を離れることもできない。しかし無明のため常に涅槃の中にいながら自ら知らず、虚妄に四方に奔走し動揺し、妄りに生死輪廻の苦しみを受ける。ゆえに涅槃は戻る必要も入る必要もない。衆生は無明に覆われているだけで、ただ認識していないだけである。認識さえすれば、即時に清浄となり、即時に寂静解脱する。もはや生死も束縛もなく、至る所が金である。どうして金器に執着する必要があろうか!
回向文:私たちのネットワークプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳をもって、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向する。世界平和を祈願し、戦争が起こらず、烽火が上がらず、干戈が永遠に止むことを。全ての災難がことごとく消退することを。各国の人民が団結し助け合い、慈しみの心をもって相対することを祈願する。風雨順調で五穀豊穣、国家安泰で民衆平安であることを。全ての衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、善き縁を広く結び、善き業を広く修め、仏を信じ仏を学び、善根が増長することを。苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の道を開くことを。仏教が永く興隆し、正法が永く住することを祈願する。三界の火宅を変じて極楽の蓮邦となさんことを!
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