原文:問。若し自らの所逼迫、若し他の所逼迫、若し時候の変異、若し先業の所引、皆な生受を得。何ぞ此の中に、但だ触を顕して彼の縁と為す。答。触は是れ彼の近因なるが故に。触に由って引かれるが故に。余の縁の生ずる所の受も、亦た触より生ずるが故に。必ず触を離れず。是の故に偏に説く。
釈:問う:もし自身の因縁によって逼迫される場合、あるいは他の外力の因縁によって逼迫される場合、あるいは時間因縁の変異による場合、あるいは前世に造った業行によって牽引される場合、これらの因縁は全て受覚を生じさせる。では何故ここでは、触を縁としてのみが覚受を生じさせると示しているのか。答える:触が覚受を生じさせる最も近い因縁であるからである(他のものは遠因である)。受は触によって引き出されるが故である。また他の縁によって生じる受覚も、触の因縁から生じるのであり、触がなければ他の因縁があっても受は生じない。受覚の生起は必ず触を離れることができない。それ故に、触が受の因縁であると偏って説くのである。
原文:問。経中にも説く。無明を縁として愛を生ず。愛に順ずる境界も亦た縁と為り得。何ぞ此の中に、但だ受を以て縁と為すと説く。答。受の力に由るが故に。相似の境に於いて、或いは和合を求め、或いは乖離を求む。愚痴の力に由って、但だ諸の受に於いて、起尽等の相に、不如実に知る。此に由って、其の心を制御すること能わず。
釈:問う:経典にも、無明を縁として愛が生じると説かれている。無明は愛の因縁であり、貪愛に順ずる六塵境界も愛の因縁となり得て、愛を生じさせる。では何故ここでは、受だけが愛を生じさせる因縁であると言うのか。答える:受の因縁力によって、相似たる真実の境界に直面した際、あるいは境界との和合を希求し(楽受があるため)、あるいは境界からの乖離逃避を希求する(苦受があるため)。愚痴の因縁力によって、受の生起と滅去などの相を不如実に了知するが故に、心を調伏することができず、それによって愛が生じる。それ故に受が愛の因縁であると説くのである。
回向文:我々のネットワークプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を以て、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向する。世界の平和を祈願し、戦争起こらず、烽火興らず、干戈永く息む。一切の災難、尽く消退せんことを。各国の人民が団結互助し、慈心をもって相向かい、五穀豊穣、国泰民安ならんことを祈願する。一切の衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、広く善縁を結び、広く善業を修め、仏を信じ学び、善根を增長せんことを。苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし、涅槃の路を開かんことを。仏教の永き興隆、正法の永住を祈願し、三界の火宅を変じて極楽の蓮邦とならしめんことを。
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