衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2022年04月15日    金曜日     第1 回の開示 合計3615回の開示

瑜伽師地論十二因縁釈(十八)

問。随眠が断じておらず、それに順じる諸法によって、取はすべて生じ得る。何故ここでは、ただ愛を取の縁と説くのか。答。希望によって生じるが故に、追求する時に、随眠を発し、またそれに随順する法を引くことができるからである。

釈:問う。随眠煩悩が断除されていないため、随眠煩悩に順じ、それによって諸法への執取がすべて生じるが、何故ここではただ愛が執取を生じる因縁だと説くのか。答える。心が貪愛する対象に希望を抱くが故に、追求する際に、随眠煩悩を引き起こし、また自らを随眠煩悩に順じさせるため、執取が生じる因縁は貪愛であって随眠煩悩ではないからである。

随眠の意味は、煩悩が断除されていない時、常に種子として阿頼耶識に潜んでいる、あるいは阿頼耶識に眠伏しており、因縁が成熟すれば煩悩が現行する。しかし煩悩はまた意根に随伴し、意根と共にあり、因縁が成熟すれば、意根は煩悩に順じて業行が現れる。貪愛も煩悩の一種であり、貪愛があるからこそ執取の心行が生じる。瞋恚のような煩悩は離反するものであり、順じるものでも執取でもない。故に「愛縁取」と説き、「煩悩縁取」とは説かないのである。

原文:問。前に既に無明を縁として業有を発起すると説いた。何故今、取を縁として有を説くのか。答。取の力によって、その業がそれぞれの生処において識・名色等の果を引くことができるからである。問。生もまた精血等を縁とする。何故ここではただ有を縁として生を説くのか。答。有がある故に、必ず他の縁が欠けることなく存在する。また有が殊勝である故に、ただそれを縁と説くのである。

釈:問う。以前に無明を因縁として業果の三有を発起すると説いたのに、何故今は取を因縁として三有が生じると説くのか。答える。取の因縁力によって、造作した業果が各々の界地に生じ、その後六識や名色などの業果を引き起こすから、「取縁有」と説くのである。

問う。生命体は父の精と母の血などを縁として生じるが、何故ここではただ三有を縁として生じると説くのか。答える。三有がある故に、必ず生命体が生じる他の縁が満たされる。また三有が全ての縁の中で最も殊勝である故に、ただ三有を生の縁と説くのである。

原文:問。遠行や不平等を避けず、他者からの逼迫を縁として老死が得られる。何故ここではただ生を縁として老死を説くのか。答。それら諸縁によるとしても、必ず生を根本とする故に、仮にそれらの縁が欠けても、生を縁とすれば必ず老死があるからである。

釈:問う。老死は生命体が長い時を経る中で、寿命が尽きる前に外力の突発的な因緣を避けられず、逼迫されて寿命が終わる場合もあるが、何故ここではただ生を縁として老死が生じると説くのか。答える。老死を引き起こす多くの縁があるが、老死は必ず生を根本因縁とする。たとえ他の縁がなくとも、生があれば必ず老死がある。生がなければ、いかなる縁があっても老死は生じない。故に生を老死の縁と説くのである。

回向文:当ネットプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を、法界衆生に回向し、世界の民衆に回向する。世界の平和を祈願し、戦争が起こらず、烽火が燃えず、干戈が永遠に止むことを。一切の災難が消退することを。各国の民が団結し助け合い、慈心をもって相対し、風雨順調に国泰民安となることを。全ての衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、善縁を広く結び、善業を修め、仏法を信じ学び、善根を増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉じ涅槃の道を開くことを。仏教が永く興隆し、正法が永住し、三界の火宅を極楽の蓮邦に変えることを祈願する。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

衆生と涅槃

次の記事 次の記事

このお方は誰でしょうか、当ててみてください

ページのトップへ戻る