原文:問。経中に説くが如く、諸業は貪瞋痴を縁とす。何故此の中に、唯だ痴を以て縁と為すと説くや。答。此の中には通じて福・非福・不動の三業の縁を説く。貪瞋痴の縁は、唯だ非福業を生ずるが故なり。
釈:問:経典に説かれているように、衆生の全ての業行は貪・瞋・痴を縁として造作されるのに、何故ここでは唯だ無明の痴を縁とするのみと説くのですか。答:ここでは福行・非福行・不動行という三種の業縁を全て概括して、無明の痴を縁とするものとして説いているのです。一方、貪・瞋・痴を縁とする場合は、非福の悪業のみを生じるからです。
貪・瞋・痴の煩悩を縁とするならば、必ず非福の悪業を造作し、福業や清浄なる不動業を造作することはありません。しかし無明を縁とする場合は、三種の業行全てを造作し、非福の悪業に限定されないのです。無明によって善行を行う者は多く、世間の苦や空を了達しないが故です。
原文:問。身業・語業は思の所発起なり。是れ則ち行も亦た行の縁なり。何故但だ無明を以て行の縁と為すと説くや。答。一切の行を発起する縁に依って説くが故なり。及び善・染汚の思を生ずる縁に依って説くが故なり。釈:問:身業と語業は、意根の思心所によって引き起こされます。それ故に行(思心所)もまた身行・語行を生じる縁であると言えるのに、何故唯だ無明が行の縁であるとのみ説くのですか。答:これは一切の行(身・口・意の三業)を発起する根本の縁(無明)に基づいて説いているからです。一切の行は無明によって起こり、意根の思は無明があるが故に作用し、それによって身行と言行が生じるのです。また、善なる思と染汚なる思心所を生じる根本の縁(無明)に基づいて説いている故です。善を生じる縁も染汚を生じる縁も共に無明であるため、無明が行の縁であると説き、思心所の行が身行・語行の縁であるとは説かないのです。
回向文:当ネットプラットフォームにおける一切の弘法と共修の功徳を以て、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向します。謹んで世界の平和を祈願し、戦争起こらず、烽火興らず、干戈永く止み、一切の災難ことごとく消退せんことを。願わくは各国の民衆が団結して助け合い、慈心を以て相対し、五穀豊穣にして国泰民安ならんことを。一切衆生が深く因果を信じ、慈心をもって殺生せず、広く善縁を結び、広く善業を修め、仏を信じ学ぶことによって善根を増長し、苦を知って集を断ち、滅を慕いて道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の路を開かんことを。仏教の永き興隆と正法の永住を祈願し、三界の火宅を変じて極楽の蓮邦とならしめんことを。
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