衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
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日常法話

2022年04月04日    月曜日     第1開示 合計3604開示

瑜伽師地論十二因縁釈(十二)

原文:問。幾つかの支は引因に摂せられるか。答。無明より乃至受に至る。問。幾つかの支は生因に摂せられるか。答。愛より乃至有に至る。問。幾つかの支は生引二因果に摂せられるか。答。現法後法において、識等より乃至受に至る。生老死の位において摂せられる諸支である。

釈:問:十二支分の中に幾つかの支は引因に摂受されるか。答:無明が行を縁じ、行が識を縁じ、識が名色を縁じ、名色が六入を縁じ、六入が触を縁じ、触が受を縁ずる、この七支は引因に摂受され、後の一支分を引生することができる。問:幾つかの支は生起因に摂受されるか。答:受が愛を縁じ、愛が取を縁じ、取が有を縁ずる、この三支は生起因に摂受され、生支と老死支を生起することができる。問:幾つかの支は生起因と引因の二つの因果に摂受されるか。答:現前に存在する法と後世に生起する法において、識が名色を縁じ、名色が六入を縁じ、六入が触を縁じ、触が受を縁ずるこの四支は、生と老死の位の支分に対して、生起因と引因の二つの因果に摂受される。

無明は行を引生できるが、行を出生することはできない。引とは導くことであり、助縁・増上縁である。出生とは直接に生むことである。無明には体もなく心もなく種子もないため、行を生むことはできず、阿頼耶識が行を出生するための引子としてのみ機能する。この引子がなければ、阿頼耶識は行を出生することができない。行は六識(業種)の引因であって、直接に六識(業種)を出生する因ではない。行には自体性がなく、種子もないため、六識(業種)を出生することはできず、阿頼耶識が行を借りて六識(業種)を出生するのである。六識業種は名色の因縁であり、直接に名色を出生することはできない。阿頼耶識が六識業種の縁を借りて名色を出生し、六識の造作によって落謝した種子が後世の名色を引生するのである。

名色は六入の引因であり、直接に六入を出生することはできない。阿頼耶識が名色を借りて六入を出生する。このうち意入は元々存在するものであり、阿頼耶識が新たに出生するものではない。六入は触の引因であり、触を引生することはできるが、直接に触を出生することはできない。なぜなら六入には自体性がなく種子がないため、触を出生することができず、阿頼耶識が六入という引因を借りて触を出生するのである。触は受の引因であり、受を引生することはできるが、直接に受を出生することはできない。なぜなら触には自体性がなく識心でもなく種子がないため、阿頼耶識が触を借りて受を出生するのである。

愛・取・有の三支は後世の生と老死支の生起因となる。もし愛取有がなければ、五蘊身は滅して無余涅槃に入り、生と老死は存在しなくなる。したがって愛取有の三支は後世の支分の生起因である。

原文:問。もし無明は不如理作意を因とすると説くならば、何の因縁によって縁起の教えの中で先にこれを説かないのか。答。それはただ不断の因であるが故に、雑染の因ではないが故である。所以は何か。愚ならざる者はこの作意を起こさず、雑染の因に依って縁起の教えを説く。無明の自性は染汚である。不如理作意の自性は染汚ではない。故にそれは無明を染汚することはできない。然るに無明の力によって染汚される。また生じる雑染業は、煩悩の力によって熏発される。業を発する最初の因を、初の縁起と謂う。是の故に不如理作意を説かないのである。

釈:問:もし無明が不如理作意を因とするならば、何の理由で縁起法の教えの中で不如理作意を先に説かず、直接に無明を説くのか。答:不如理作意はただ縁起法が断滅しない因であって、善悪無記の三性にわたる雑染の煩悩因ではない。なぜそう言うのか。愚痴無明の者こそが不如理作意を起こすのであり、もし無明がなければ不如理作意は生じない。したがって無明を先とし、雑染の煩悩因に基づいて初めて縁起の教法を説くのである。

無明の自体性は染汚であり煩悩を有するが、不如理作意の自体性は染汚ではなく煩悩を有しない。したがって不如理作意は無明を染汚できず、却って無明によって染汚される。また生じた雑染業は煩悩の力によって熏染されるが、煩悩の力とは無明の力である。雑染業が生起する最初の因こそが最初の縁起法である。それ故に最初から不如理作意を説かないのである。

回向文:我々のネットワークプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を以て、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向する。世界平和を祈願し、戦争起こらず、烽火興らず、干戈永遠に止むことを。一切の災難、ことごとく消退することを。各国の人民が団結互助し、慈心をもって相い向かい合うことを祈願する。風雨順調で国家泰平ならんことを。一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、善縁を広く結び、善業を広く修め、仏を信じ仏を学び、善根増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の路を開くことを。仏教が永く興隆し、正法が永く住することを祝愿する。三界の火宅を極楽の蓮邦に変えんことを。

——生如法師の開示
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瑜伽師地論十二因縁釈(十三)

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