原文:問。何故に諸支相望で、因縁無きや。答。因縁とは、自体の種子の縁によって顕れるが故であります。問。若し諸支相望に因縁無きならば、何故に因果の体性に依って縁起を建立すと説くや。答。増上縁に摂せられる所の、引發因・牽引因・生起因によるが故に、因と名づけて説くのであります。
釈:問:何故これらの支分が互いに縁となっても因縁が無いのですか。答:所謂る因縁とは、諸支分の自体の種子の縁によって顕現されるものです。問:これらの支分が相互に縁となり牽引し合う中に因縁が無いなら、何故因果の体性に依拠して縁起を建立したと説くのですか。(因果の体性とは、前因が後果を生じ、後果こそが縁起の法である。)答:これらの支分は増上縁に摂せられるものであり、前の支分は後の支分に対する引發因・牽引因・生起因となり、方便的に因と説かれ、後の支分が果となるため、因果の体性に依って縁起法を建立すると説くのです。
因縁は四縁中最も重要な縁であり、諸法を生じさせる直接の因です。種子は因縁法に属し、種子は因位にあり(無明を除く)十一支分は果位にあります。因あれば必ず果あり、縁も即ち因の意味で、種子が十一支分の出現を引き起こします。種子とは六識の身口意行が残した業種を指します。この意味は極めて深遠で、諸支分を生じさせる自体の種子は全て阿頼耶識から来ており、阿頼耶識の中に存在します。換言すればこれらの支分は全て阿頼耶識によって生じられたもので、阿頼耶識と自体の種子がこれらの支分の因縁であります。
十二因縁においては、識縁名色の一支において名色が生じる際にのみ種子があります。前世の六識の身口意行の種子が今世の名色を生じる因縁となります。而して名色以降の支分の生起には種子が無く、各支分は前の支分によって引き起こされます。即ち前の支分が後の支分に対する増上縁、或いは等無間縁、或いは所縁縁となりますが、何れも種子の因縁はありません。無明縁行と行縁識においても同様に、種子の因縁は無く、ただ等無間縁・所縁縁・増上縁のみであります。
回向文:当ネットプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を以て、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向いたします。世界平和を祈願し、戦争起こらず、烽火興らず、干戈永く息むことを。一切の災難尽く消退せんことを。各国人民が団結相助け、慈心を以て相向かい、風雨時に順い、国泰く民安んぜんことを祈願します。全ての衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、善縁を広く結び、善業を広く修め、仏法を信じ学び、善根を増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉じ、涅槃の路を開かんことを。仏教が永く興隆し、正法が永く住んんことを。三界の火宅を変じて極楽の蓮邦とならんことを。
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