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日常法話

2022年03月31日    木曜日     第1開示 合計3600開示

瑜伽師地論 第十巻 十二因縁釈(十)

無明から行へのこの支分において、無明は意根の無明であり、無色の支分である。無色の識心のみが無明を持ち、有色の法は明と無明に関わらない。意根に無明があるから行が生じ、その行は色法の行(身体の行と言葉の行)と無色法の心行に分かれる。無明は有色の行に対する増上縁に過ぎず、有色の行の発生と発展・変異を促進することができる。色法は心法ではなく、等無間縁と所縁縁を持たない。心法のみが等無間縁と所縁縁を持つため、身行と口行には等無間縁と所縁縁がなく、心行には等無間縁・所縁縁および増上縁がある。無明は意根と同時に存在し、中断したことがない。意根があるところに無明があり、意根が無明を縁として行が生じる。したがって無明は意根が縁とする所縁縁であり、意根の無明は六識が絶え間なく行うことを促進し、行の増上縁となる。

行が識を縁るこの支分において、行は六識が絶えず運行し業種が生じることを促す。有色の行は六識の所縁縁と増上縁であり、無色の行は意識の等無間縁・所縁縁および増上縁である。識が名色を縁るこの支分において、六識が相続して絶え間なく運行することは後世の色身に対する増上縁であり、後世の名(受・想・行・識)に対する等無間縁・所縁縁および増上縁である。名色が六入を縁るこの支分は複雑で、名は前五入に対する増上縁であり、後の意根入に対する等無間縁・所縁縁および増上縁である。色は前五根入に対する増上縁であり、意入に対する所縁縁と増上縁である。五根入は色法であって識心ではないため、等無間縁と所縁縁を持たない。六入が触を縁るこの支分において、意根入は意根触の等無間縁・所縁縁および増上縁であり、前五根入は五根触の増上縁であり、所縁縁と等無間縁を持たない。

触が受を縁るこの支分において、意根の触は意識の受に対する等無間縁・所縁縁および増上縁である。受があるところには必ず触があり、触が一旦断たれると受は消失する。五根の触は五識の受に対する所縁縁と増上縁であり、五識の受の等無間縁は阿頼耶識と意根および五識である。受が愛を縁るこの支分も同様に、受は愛の等無間縁・所縁縁および増上縁である。等無間に受を縁って初めて愛が生じ、愛が縁とする所縁縁は受である。受がなければ愛はなく、受は愛を増長させ、愛を引き起こす。五識の受と意識の受は共に意根に統合され、五識の愛・取と意識の愛・取も意根に統合される。受は意根に操られるため、総じて意根の受・愛・取となる。

愛が取を縁るこの支分も同様に、愛は取の等無間縁・所縁縁および増上縁である。取は等無間に愛を縁り、愛がなければ取はない。取が縁とする所縁縁は愛であり、愛は取を増長させる。取が有を縁るこの支分において、取は有に対する増上縁に過ぎず、等無間縁でも所縁縁でもない。有が生を縁るこの支分において、有は色生に対する増上縁であり、名生に対する所縁縁と増上縁であり、等無間縁ではない。生の等無間縁は意根と六識の業種である。生が老死を縁るこの支分において、色生は老死に対する増上縁であり、等無間縁と所縁縁ではない。名生は老死に対する等無間縁・所縁縁および増上縁である。

回向文:私たちのネットワークプラットフォームにおけるすべての弘法と共修の功徳をもって、法界の一切衆生に回向し、世界の民衆に回向します。世界平和と戦争のないこと、烽火の起こらず干戈が永久に止むこと、一切の災難がことごとく消退することを祈願します。各国の人民が団結し助け合い、慈しみの心をもって相対すること、風雨順調で国家安泰・人民平安であることを祈願します。一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、広く善縁を結び善業を修め、仏を信じ学んで善根を増長し、苦を知って集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の路を開くことを願います。仏教が永く興隆し、正法が永く住すること、三界の火宅を極楽の蓮邦に変えることを祈願します。

——生如法師の開示
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