問。無明が行を望むには、幾種の縁となるか。答。諸色行を望むには、増上縁となる。無色行を望むには、三縁となる。即ち等無間縁・所縁縁・増上縁なり。このように他の支も、縁の多少は、かくの如く知るべきなり。謂わく、有色の支が有色の支を望むには、一つの増上縁となる。無色の支を望むには二縁となる。即ち所縁縁及び増上縁なり。若し無色の支が有色の支を望むには、唯だ一縁となる。無色の支を望むには三縁となる。即ち等無間縁・所縁縁・増上縁なり。
釈:問う。無明縁行のこの支には幾種の縁があるか。答える。無明が一切の色法を行(身行・口行)に縁づける場合、ただ一つの縁、即ち増上縁である。無色法を行(意行)に縁づける場合、三種の縁がある:等無間縁・所縁縁・増上縁。他の諸支が各々持つ縁は以下のように知るべきである:色法の支分が色法の支分を縁づける場合、ただ一つの増上縁である。色法の支分が無色法の支分を縁づける場合、二種の縁:所縁縁と増上縁。もし無色法の支分が色法の支分を縁づける場合、ただ一つの増上縁である。無色法の支分が無色法の支分を縁づける場合、三種の縁:等無間縁・所縁縁・増上縁。
色法の支分は身口に関わり、身口の造作である。無色法の支分は識心に関わり、識心の造作である。色法の支分は色法と無色法の二種の支分を引き起こし、無色法の支分もまた色法と無色法の二種の支分を引き起こす。色法と無色法の支分は互いに摂受し合う。
ただ無色法と無色法の支分の間には三種の縁がある。何となれば、皆識心及び心所法の部分であり、種類相同なるが故に、互いに縁づけ合い、互いに増進し合う。色法と色法の支分の間にはただ増上縁のみあり、一つの色法が他の色法の生起を促進する。しかし色法の支分が無色法の支分に対しては二種の縁:所縁縁と増上縁である。色法は無色法の所縁相分であるが故に所縁縁となり、色法はまた無色法の生起を促進するが故に増上縁となる。無色法が色法に対してはただ増上縁一つのみである。
等無間縁の意味は、種類相等しく、かつ無間断の縁である。識心と識心の間は相等しく、識心と心所法は相等しく、かつ同類の識心である。例えば意識と意識の間は等無間縁、意根と意根の間は等無間縁、眼識と眼識の間は等無間縁など。また心所法とそれに相応する識心は等無間縁、或いは識心とそれに相応する心所法は等無間縁である。
しかし全ての心所法が相応する識心と等無間縁となるわけではない。心所法は時処を超えて存在せず、常に識心に随伴するものではない。ただ時処を超えて識心に随伴する心所法のみが、識心と等無間縁となる。例えば無明、例えば触や作意など。等無間縁も永遠のものではなく、段階的な一時的な等無間縁である。無明が滅し、識心が受想を離れれば、心所法は識心の等無間縁ではなくなる。無明は識心の所縁の法であり、識心が具える法である。識心と相応し、無始劫以来常に識心の運転に随伴し、分離することなく、故に無明は識心の等無間縁であり、また識心の所縁縁・増上縁でもある。
所縁縁の意味は、一切法は識心の所縁の相分であり、相分もまた一種の縁、即ち識心の所縁縁である。所縁縁はまた所縁境とも称され、親所縁縁と疏所縁縁に分かれる。親所縁縁は識心が直接に縁づける法であり、直接に対応する法で、法と分離できない。疏所縁縁は識心が間接に縁づける法であり、識心と分離しており、直接に縁づけられない。例えば甲の色身と識心は、乙の識心の疏所縁縁である。乙の識心は甲の五陰身を離れて単独に存在でき、甲の存否は乙の識心の運転に影響しない。また第八識が現じる本質境は、識心の疏所縁縁である。識心は直接本質境を縁づけず、本質境が転変した性境・帯質境・独影境を縁づける。識心はまた直接種子を縁づけず、故に種子も識心の疏所縁縁である。これ以外は皆識心の親所縁縁である。
増上縁の意味は、この法が他の法の生起の所依と助縁となり、他の法の発生を補助・助推する作用を持つが、直接的な主要な作用ではなく、法生起の主要因ではない。
回向文:当ネットプラットフォームの全ての弘法と共修の功徳を以て、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向す。世界平和を祈願し、戦争起こらず、烽火興らず、干戈永く止むことを。一切の災難尽く消退せんことを。各国人民の団結相助け、慈心相向かうことを祈願す。風雨時節に順い、国泰くして民安んぜんことを。一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、善縁を広く結び、善業を広く修め、仏法を信じ学び、善根を増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉じ、涅槃の路を開かんことを。仏教の永き興隆を祝し、正法の永住を祈る。三界の火宅を変じて極楽の蓮邦とならんことを。
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