衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2022年03月28日    月曜日     第1 回の開示 合計3598回の開示

瑜伽師地論第十巻十二因縁釈(八)

原文:問。何の因縁によって、逆次第の中で老死を最初として、諸縁起を説くのか。答。依止して宣説する、諦の道理による故なり。生及び老死は苦諦を顕すことが出来るが故に。世尊の言う如く、新たなる名色の滅は上首の法なり。

釈:問:逆に因縁法の次第を推す中で、なぜ老死を最初として十二縁起法を説くのか。答:これは世尊が宣説された四聖諦の道理に依止する故である。生と老死が苦諦を顕すことが出来るからであり、世尊が「新たなる名色の滅は最上の法である」と説かれた如くである。新たなる名色が滅して生じなければ、老死の問題は解決され、老死なき状態が解脱涅槃である。

原文:問。何故に諸々の無明の滅を上首と説かざるか。答。心解脱する者に依って施設する故なり。彼は現法において種子の苦及び将来の苦果が生ぜずして滅する故に、名色を最初とし、受を最後として究竟の滅を得ると説く。また現法において諸々の受を受ける時、愛及び随眠が永く抜けて起きず、これを滅と名付く。彼の滅を以て先とし、余の支も亦滅す。此の如き等の類により縁起の次第を宣説すべきことを知るべし。

釈:問:なぜ全ての無明が滅することが最上の法だと説かないのか。答:後世の新たなる名色の滅を第一の法とするのは、心解脱した者に基づいて施設されるからである。心が解脱すれば老死は滅する。現法において種子中の苦及び未来の苦果が生ぜずして滅する故に、逆縁起法の次第は名色を最初とし、受を最後として名色が究竟に滅すると説かれる。また現存の法において諸受を受ける際、愛とその随眠が永遠に抜け去り生じないことを以て愛滅と説く。愛が滅する故に愛を先とし、他の支も続いて滅する。このような類いの説き方が縁起法の次第を宣説するものであることを知るべきである。

原文:問。何故に縁起を縁起と説くか。答。煩悩の繋縛により諸趣に往き、数数生起するが故に縁起と名付く。此れは字義に依る名称の解釈なり。また衆縁に依托し、速やかに謝滅した後に続いて和合して生ずるが故に縁起と名付く。此れは刹那の義に依る解釈なり。また衆縁は過去となっても捨離せず、自らの相続に依って生起するが故に縁起と名付く。「此れ有るが故に彼れ有り、此れ生ずるが故に彼れ生ず。余によるにあらず」と説く如く、此の義に依って名称を解釈すべし。

釈:問:なぜ縁起を縁起と説くのか。答:煩悩に縛られ六道に生まれ、繰り返し五陰身が生起する故に縁起と名付ける。これは文字通りの解釈である。また多くの因縁に依り、速やかに滅した後も相続して和合し生じる故に縁起と呼ぶ。これは刹那生滅の意味による解釈である。さらに過去の因縁が滅しても五陰身は離れず、自らの相続縁によって再び生起する故に縁起と説かれる。「此れ有れば彼れ有り、此れ生ずれば彼れ生ず。他によるのではない」という教えに基づき、この意味によって縁起を解釈する。

原文:また数々謝滅し、再び相続して起るが故に縁起と名付く。此れは数々壊れ数々滅する義に依る解釈なり。また過去世において縁起の性を覚り、等しく相続して起るが故に縁起と名付く。世尊の言う如く「我已に覚悟し、正しく起って宣説す」即ち此の名に由って展転し伝説する故に縁起と名付く。

釈:また五陰身が繰り返し滅び、再び相続して生起する故に縁起と呼ぶ。これは五陰身が繰り返し壊れ滅する意味による解釈である。さらに過去世において縁起の本性を悟り、同類の五陰身が相続して生起する故に縁起と説かれる。世尊が「我已に覚悟し、正しく世に出て縁起法を宣説する」と説かれた如く、この縁起の名が広く伝わる故に縁起と名付けるのである。

回向文:当ネットプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を以て、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向す。世界の平和を祈願し、戦争起こらず、烽火興らず、干戈永遠に止むことを願う。一切の災難ことごとく消退せんことを。各国人民が団結し慈心をもって相対し、風雨順い国泰民安ならんことを願う。一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、善縁を広く結び、善業を修め、仏法を信じ学び、善根を増長せんことを。苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の路を開かんことを。仏教の永き興隆と正法の永住を祈り、三界の火宅を極楽の蓮邦となさんことを。

——生如法師の開示
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