原文:問。何の因縁の故に、逆次第の中にて、老死を先とし、諸縁起を説くや。答。宣説に依止する、諦の道理の故なり。生及び老死を以て、苦諦を顕わす能うが故なり。世尊の言う如く、新たなる名色の滅するは、上首の法と為す。
釈:問:いかなる因縁によって、因縁法を逆推する次第において、老死を最初として十二縁起法を説くのか。答:これは世尊の宣説された四聖諦の道理に依止する故であり、生と老死が苦諦を顕わすことができるからである。世尊が「新たなる名色の滅することは最上第一の法である」と説かれた如くである。新たなる名色が滅して生じなければ、老死の問題は解決され、老死が無ければ解脱涅槃を得る。
原文:問。何故に諸の無明の滅するを上首と為すと言わざるや。答。心解脱する者に依りて、施設する故なり。彼、現法の中にて、種子の苦及び当来の苦果は、生ずることなくして滅するにより。故に名色を先とし、受を最後として、究竟の滅を得ると説く。また現法の中にて、諸の受を受くるとき、愛及び随眠は永く抜き起こらず、滅と名づけて説く。彼の滅するに由る故に、彼を以て先とし、余の支も亦滅す。此の如き等の類、縁起を宣説する次第、知るべし。
釈:問:なぜ全ての無明が滅することが最上の法であると言わないのか。答:後世の新たなる名色の滅を第一の法とするのは、心解脱した者に依って施設されたものであり、心が解脱すれば老死は滅する。老死が現世の法において、種子中の苦および未来に受けるべき苦果が、生じることなく滅するからである。故に逆因縁法の次第は名色を最初とし、受を最後として、名色が究竟に滅すると説く。また現存の法の中で諸々の受を受ける時、愛および愛の随眠が永遠に抜かれ、再び生じることがなければ、これを愛滅と説く。愛が滅する故に、愛を最初として、他の支も続いて滅するのである。縁起法を修するには、このような説き方が縁起法を宣説する次第であることを知るべきである。
原文:問。何故に縁起を以て縁起と説くや。答。煩悩の繋縛により、諸趣の中に往きて、数数に生起するが故に、縁起と名づく。此れは字釈に依る名なり。復次に衆縁に依托し、速やかに謝滅したる後、続いて和合して生ずるが故に、縁起と名づく。此れは刹那の義釈に依るなり。復次に衆縁は過去するも、而も捨離せず、自らの相続に依りて生起するを得るが故に、縁起と名づく。「此れ有るが故に彼れ有り、此れ生ずるが故に彼れ生ず。余によるに非ず」と説く如し。此の義に依る故に、釈名すべしと知るべし。
釈:問:なぜ縁起を縁起と言うのか。答:煩悩の繋縛によって六道に生まれ、数限りなく五陰身が生起するから、五陰身を縁起と呼ぶのである。これは字義に基づく縁起の解釈である。また五陰身は多くの因縁に依って、速やかに滅した後も、相続して因縁和合によって生じるので、縁起と言う。これは刹那生滅の意味による解釈である。さらに多くの因縁は滅しても、五陰身は捨て去られず、自身の相続縁によって再び生起するので、縁起と言う。すなわち「此れ有るが故に彼れ有り、此れ生ずるが故に彼れ生ず。他の原因によるのではない」と説かれる通りである。この意味によって縁起を解釈するのである。
原文:復次に数数謝滅し、復た相続して起るが故に、縁起と名づく。此れは数々壊れ数々滅する義釈に依るなり。復次に過去世に於て縁の性を覚り已で、等しく相続して起るが故に、縁起と名づく。世尊の言う如く、「我已に覚悟し、正しく起ちて宣説す」と。即ち此の名に由りて展転伝説する故に、縁起と名づく。
釈:また五陰身は数限りなく滅しても、数限りなく相続して生起するので、縁起と言う。これは五陰身が数々壊れ数々滅する意味による解釈である。さらに過去世において五蘊世間の縁起の性質を覚ってから、過去世と同じ類の五蘊身が相続して生起するので、縁起と言う。世尊が「私は既に覚悟した。正しく世に出て因縁法を宣説する」と言われたように、この縁起という名によって伝え広められるので、縁起と言うのである。
回向文:我々のネットワークプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を以て、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向し、世界の平和と戦争の起こらぬことを祈願し、烽火の興らず干戈永久に止み、一切の災害ことごとく消退することを祈願します。各国の人民が団結し助け合い、慈心をもって相い向かい、風雨順い国泰民安であることを祈願します。一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、善縁を広く結び、善業を広く修め、仏を信じ学び善根を増長し、苦を知り集を断ち滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉じ涅槃の路を開くことを願います。仏教が永く興隆し正法が永く住し、三界の火宅を極楽の蓮邦に変えることを祈願します!
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