原文:また現法において、触縁による受に依り、愛を発起する。境界を受用する縁によって、広く追求を起こす。あるいは事業の門により、あるいは利養の門により、あるいは戒禁の門により、あるいは解脱の門によって、欲求を発起する。内身への求め、邪な解脱への求である。このように求めるとき、先に起こった煩悩及び業によって引き起こされる五趣の生死の果を生じさせる。生を得た後は、老死が随逐する。
釈:現に存在する法において、触の因縁によって生じた受に依存して愛が生じ、境界を受用する縁によって広く追求と求取が生じる。あるいは生存事業の面で、あるいは名声や利養の面で、あるいは戒禁取の面で、あるいは生死解脱の面において、貪欲の求索、五陰身への求索、そして邪解脱(正しくない解脱)への求取が生じる。このように貪求するとき、以前に生じた煩悩および煩悩の業行によって引き起こされる五道の生死輪廻の果が生じる。生が現れた後、老死がその後を追う。
原文:さらに次第の差別がある。三種の有情の聚(集まり)による。第一は出世間の清浄を楽しむもの、第二は世間の清浄を楽しむもの、第三は境界に執着して楽しむものである。第一の聚によって、諸々の縁起を滅し、白く清浄な品を増す。第二の有情の聚によって、諸々の諦の道理を如実に知らない。もし正念に住すれば、あるいは福業を作り、あるいは有漏の修によって引き出される不動業を作る。もし正念に住さなければ、非福業を発し、あるいは追悔によって引き出されるもの、あるいは追悔せず歓喜によって引き出される心相続を住させる。
釈:さらに次第の差別があり、三種の有情の集まりがある。第一種は出世間の清浄法を喜ぶ有情、第二種は世間の清浄法を喜ぶ有情、第三種は境界法に欣楽する有情である。第一種の有情の集まりがあるがゆえに、一切の縁起法を滅し、清浄無垢の業種を増す。第二種の有情の集まりがあるがゆえに、四聖諦の理を如実に了知せず、もし清浄な正念に住すれば、いくつかの福業を作り、あるいは有漏の修行によって引き出される不動業行(例えば純粋な禅定で四禅定の身心不動を達成する)を作る。もし有情の心が正念に住さなければ、いくつかの非福業を作り、ある者は非福業を作って心に追悔を生じ、ある者は非福業を作った後、心は追悔しないばかりか、かえって歓喜する。こうして心相続が絶えず住着し、滅除できない状態を引き起こす。
原文:彼らはまた前述のように、下・中・上の生処の次第によって、当来の三種の苦果を感ずることができる。すなわち名色を先とし、触を最後とする。第三の有情の聚によって、現に受用する境によって生じた受に依り、現法において、前述の次第のように、後の六支を起こす。すなわち受を先とし、老死を後とする。
釈:これらの人々はまた以前のように、この非福業によって下・中・上三種の次第の生処を感召する。三種の生処によって、三種の相応する苦果が伴う。この前六支の因縁の中で、最初に名色があり、最後に触がある。これによって苦果が現れる。第三種の有情の集まりがあるがゆえに、現前の境界受用によって生じた受に依り、現に存在する法において、先の次第のように、後の六支(受・愛・取・有・生・老死)を生じる。受が最初にあり、老死が最後にある(以上は順十二因縁観についての説明である)。
回向文:私たちのネットワークプラットフォームにおけるすべての弘法と共修の功徳をもって、法界の一切衆生に回向し、世界の民衆に回向します。世界の平和を祈願し、戦争が起こらず、烽火が興らず、干戈が永遠に止むことを祈ります。一切の災難がことごとく消退することを祈ります。各国の人民が団結し助け合い、慈心をもって相い向かい合うことを祈ります。風雨順調で国泰民安であることを祈ります。一切の衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、広く善縁を結び、広く善業を修め、仏を信じ学び、善根が増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の路を開くことを祈ります。仏教が永く興隆し、正法が永く住することを祈ります。三界の火宅を変じて極楽の蓮邦とならしめますことを祈ります。
0
+1