衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2022年03月24日    木曜日     第1開示 合計3596開示

瑜伽師地論 第十巻 十二因縁釈(六)

原文:問。何の因縁によって、無明等の諸有支がこのような次第で説かれているのか。答。すべての愚痴なる者は、まず第一に知るべき事柄について愚かであり、次いでその事柄について邪なる行いを起こす。邪行によって心が顛倒し、心が顛倒するがゆえに結生相続する。生が相続するがゆえに諸根は円満し、根が円満するがゆえに二種の受用境(正報と依報)を受ける。

釈:問う。いかなる因縁によって、無明などの十二因縈の十二有支がこのような順序で、このような次第に説かれているのか。答える。すべての愚痴なる者は、まず第一に知るべき事柄について愚かであり理解せず、次いでその理解できない事柄について邪悪で正しからぬ行いを起こす。邪行を造作したがゆえに心を顛倒させ、心が顛倒したがゆえに煩悩の結縛によって生命が相続して絶えることがない。生命が相続して絶えないがゆえに六根が円満に具足し、六根が円満であるがゆえに、五陰身の正報による受用と生存環境の依報による受用がある。

原文:受用境するがゆえに、あるいは耽着し、あるいは希求する。希求するがゆえに、方々を求めるときに煩悩が滋長する。煩悩が滋長するがゆえに、後有(来世の生存)における愛すべきものと愛すべからざるものに対する業を起こす。起こした業の滋長する力によって、五趣の生死において苦果が生じる。苦果が生じたのち、老死等の苦がある。すなわち、内身の変異によって引き起こされる老死苦、および境界の変異によって引き起こされる憂い嘆きの苦、熱悩の苦である。それゆえに、世尊はこのような次第で十二支を説かれた。

釈:受用の境界があるがゆえに、受用の境界に耽溺して抜け出せなくなったり、あるいはさらなる希求を生じたりする。希求があるがゆえに、求めるものを四方に探し求める過程で煩悩が滋長していく。煩悩が滋長するがゆえに、後世の三界有における愛すべき(可愛)と愛すべからざる(不可愛)の業行が生じる。造られた業行が滋長するがゆえに、五道の生死輪廻において苦果が生じる。苦果が生じた後には、生老病死などの苦悩がある。これらの苦悩とは、色身の変異によって引き起こされる老死苦、および境界の変異によって引き起こされる憂悲嘆息苦と熱悩苦である。それゆえに、世尊はこのような次第で十二支分を説かれた。

原文:さらに別の次第の差別がある。すなわち二種の縁に依って縁起の次第を建立する。一つは内身縁、二つは受用境界縁である。内身縁は前六支(無明・行・識・名色・六入・触)に摂められ、受用境界縁は後六支(受・愛・取・有・生・老病死)に摂められる。まず内身において我執等の愚が起こる。これによって、諸業の引き出す苦果の異熟を了知せず、諸業を起こす。

釈:さらに他の次第の差別があり、それは二種の縁によって建立された縁起の次第を指す。一つの縁は内身縁、すなわち五陰身、もう一つの縁は受用境界の縁、すなわち生存環境である。内身縁は無明・行・識・名色・六入・触の前六支によって摂受され、受用境界縁は受・愛・取・有・生・老病死の後六支によって摂受される。衆生はまず内身に対して我執等の愚痴を生じ、このような愚痴があるがゆえに、五陰身が造作する一切の業行が苦の異熟果を引き出すことを明らかにせず、一切の業行を起こす。

ここで前六支が内身の五陰身を摂受すると説く。無明によって業行を造作し名色を生じ、名色の上に六入が生じ、六入があって後に後六支がある。後六支はすべて五陰身が受用する境界であり、また六入触の結果でもある。それゆえ十二因縁は内身と受用境に依って建立されている。

原文:起こした後は、即ちその業に随って多く尋思(思考・追い求め)を起こす。業と識が助伴となるがゆえに、当来(来世)の三種の苦果を感得することができる。すなわち、根の初起(母胎内)に摂められる苦果、根の円満(出生後)に摂められる苦果、受用境界に摂められる苦果である。これらは名色を最初とし、触を最後とする。

釈:業行が起こされた後は、それらの業行に随って絶えず尋思求取(追い求め)を生じる。業行と心識が助縁となることで、未来世の三種の苦果を招感する。一つは五根が初めて生起する母胎内の苦果、二つは五根が円満して出生後に受ける苦果、三つは受用境界時に受ける苦果である。これら三種の苦果が現れる条件は、まず名色があり、最後に触があって初めて苦果が現れる。

回向文:我々のネットワークプラットフォームにおけるすべての弘法と共修の功徳を以て、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向する。世界平和を祈願し、戦争起こらず、烽火興らず、武器を永遠に収め、一切の災害ことごとく消退せんことを。各国の人民が団結して助け合い、慈しみの心をもって相い向かい合い、風雨時に順い、国泰く民安んぜんことを願う。一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、善縁を広く結び、善業を広く修め、仏を信じ仏を学び、善根を増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の路を開かんことを。仏教の永き興隆と正法の永住を祈願し、三界の火宅を極楽の蓮邦となさんことを。

——生如法師の開示
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瑜伽師地論第十巻十二因縁釈(七)

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