原文:身行とは何か。身業をいう。欲界においても、色界においても。下界においては福・非福と名づけ、上界においては不動と名づく。語行とは何か。語業をいう。その他は前の如く知るべし。意行とは何か。意業をいう。欲界においては福・非福と名づけ、上の二界においてはただ不動と名づく。
釈:身行とは何か。身行とは身体において造作される業行、あるいは欲界の業行を造作し、あるいは色界の業行を造作することをいう。無色界においては身行を造作せず、無色界の天人には身体がないためである。誰が身体において業行を造作するのか。意根が六識に色身において業行を造作させるのである。下界である欲界においては福業と非福業を造作することができ、上界である色界においては清浄不動の行を造作する。色界の衆生は深甚な禅定を具え、境界に対して心が動かず、身体は指揮を受けてやはり動かないため、身行を造作しないのである。無色界には身体がないため身行もなく、心もまた清浄不動である。身体は誰の指揮を受けるのか。身体は意根の指揮を受け、意根が心を動かさなければ意識も動かず、身識も動かず、身体は動かない。
語行とは何か。語行とは口において造作される業行、すなわち口行をいう。下界である欲界において造作される語行は福行と非福行であり、上界である色界においては、天人の心は清浄で梵行を具足し、境界に対して心が動かないため、口は心の指揮を受け、口は清浄不動となり語行がない。無色界においては天人に口がないため語行もない。
意行とは何か。ここでの意行とは意識が造作する業行を指す。意識は欲界においては福行と非福行を造作し、上界である色界と無色界においては不動行を造作する。意根の心が清浄不動であるため、意識も清浄不動となり、意識は意根によって主導されるのである。
原文:眼識とは何か。謂わく、当来において眼根に依止し、色境を了別する識。すべての福・非福・不動行によって薫発された種子識、及びその種子から生じた果報識をいう。眼識がこの如くであるならば、乃至意識に至るまで、また同じく知るべし。依る所及び境界の差別によって了別が生起することを知るべし。この識は欲界において六種を具足し、色界においてはただ四種(眼識・耳識・身識・意識)のみ、無色界においてはただ一種(意識)のみであることを知るべし。
釈:眼識とは何か。眼識とは眼根に依止して色境を了別する識であり、すべての福行・非福行・不動行によって薫染され落ちた種子識、及び落ちた種子から生まれた果報識である。眼識がこのようであるならば、耳識・鼻識・舌識・身識、乃至于る意識もまた同様であり、依る所である五根と五塵の境界によって生じる了別の差別である。種子識と果識は欲界において六種、すなわち六識を具し、色界においては眼識・耳識・身識・意識の四種のみ、無色界においてはただ意識一種のみであり、前五識はないことを了知すべきである。
回向文:私たちのネットワークプラットフォームにおけるすべての弘法と共修の功徳をもって、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向します。世界の平和を祈願し、戦争が起こらず、烽火が興らず、干戈が永遠に止むことを祈ります。あらゆる災難がことごとく消退することを祈ります。各国の人民が団結して助け合い、慈しみの心をもって相向かい合うことを祈ります。風雨順調で国泰民安であることを祈ります。すべての衆生が因果を深く信じ、慈しみの心をもって殺生せず、広く善縁を結び、広く善業を修め、仏を信じ学び、善根が増長し、苦を知って集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の路を開くことを願います。仏教が永遠に興隆し、正法が永住することを祈願します。三界の火宅を変じて極楽の蓮邦とならしめんことを!
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