衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2022年03月14日    月曜日     第1 回の開示 合計3586回の開示

瑜伽師地論 第九巻 十二因縁釈(十三)

原文:身行とは何か。身業を指す。欲界あるいは色界に於いて、下界では福・非福と称し、上界では不動と名づく。語行とは何か。語業を指す。その他の説明は前文に準じて知るべし。意行とは何か。意業を指す。欲界にあっては福・非福と称し、上二界では唯だ不動と名づく。

釈:身行とは、身体によって造作される業行を指す。欲界の業行を造作する場合もあれば、色界の業行を造作する場合もある。無色界には身行が存在せず、これは無色界の天人に身体を有さないためである。誰が身体に業行を造作するのか。意根が六識をして色身に業行を造作させるのである。下界である欲界では福業と非福業を造作し、上界である色界では清浄不動の行を造作する。色界の衆生は深甚な禅定を具え、境界に対し心動かず、身体も指揮を受けて動かず、故に身行を造作しない。無色界には身体が存在せず、従って身行もなく、心も清浄不動である。身体は誰の指揮を受けるのか。身体は意根の指揮を受ける。意根が心を動かさなければ、意識も動かず、身識も動かず、身体も動かない。

語行とは、口によって造作される業行、即ち口行を指す。下界である欲界では福行と非福行を造作し、上界である色界では、天人の心は清浄で梵行を具足し、境界に対し心動かず、口は心の指揮を受けて清浄不動となり、語行が存在しない。無色界では天人に口が存在しないため、語行もない。

意行とは、ここでは意識が造作する業行を指す。意識は欲界において福行と非福行を造作し、上界である色界と無色界では不動行を造作する。意根の心が清浄不動であるため、意識も清浄不動となり、意識は意根の主導を受ける。

原文:眼識とは何か。将来眼根に依止して色境を了別する識を指す。全ての福・非福・不動行によって薫発された種子識、及びその種子より生じた果報識を包含する。眼識がこの如くであるように、乃至意識に至るまで同様に知るべきである。所依及び境界所によって了別の差別が生起する。この識が欲界において六種を具足し、色界では唯だ四種、無色界では唯一種を有することを知るべし。

釈:眼識とは、眼根に依止して色境を了別する識であり、全ての福行・非福行・不動行によって薫染された種子識、及びその種子より生じた果報識を指す。眼識がこの如く、耳識・鼻識・舌識・身識、乃至意識もまた同様である。所依である五根と五塵の境界によって生起する了別の差別である。種子識と果識は欲界において六種(六識)を具足し、色界では眼識・耳識・身識・意識の四種のみ、無色界では意識一種のみ存在し、前五識は存在しないことを了知すべきである。

回向文:当ネットプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を以て、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向す。世界の平和を祈願し、戦争起こらず、烽火興らず、干戈永く止むことを。一切の災難尽く消退せんことを。各国人民の団結相助け、慈心以て相向かわんことを。風雨時に順い、国泰くして民安んぜんことを。一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生を断ち、広く善縁を結び、広く善業を修め、仏を信じ学び、善根を増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉じ、涅槃の路を開かんことを。仏教の永き興隆を祈り、正法の永住を願う。三界の火宅を変じて極楽の蓮邦とならんことを。

——生如法師の開示
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